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ISBN 978-4-10-130571-4狂気という隣人-精神科医の現場報告-
岩波 明
新潮社 2007-02-01
[新潮文庫 い-84-1]

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2007年2月に厚生労働省が発表した最新のデータに拠ると、
日本には現在約135万床の入院ベッドがあり、
そのうちの4分の1である約32万床が精神科のベッドである(稼働率は9割以上)。

中でも特筆すべきなのは一般病床の平均在院日数が34.8日なのに対して、
精神病床は平均で325.1日であるという現実で、
介護療養病床よりもぶっちぎりに在院日数が長い。

このデータから精神障害者の社会的な受け皿は未だに少なく、
実質的に病院が"収容所"と化している現状が浮かび上がってくる。

ではそんな"収容所"と化した精神病院は一体どんな場所なのだろうか。
本書は日本最大の精神病院である東京都立松沢病院に勤務していた医師が
実名で精神医療の惨状を白日に晒し、格子の中のタブーを世間に問うた衝撃作だ。

この本の核を占めるのは「触法精神障害者の処遇」についての問題点である。
一般に精神障害者が不幸にも犯罪を犯してしまった場合は、
(断っておくが精神障害者の犯罪率は低い。が、少数ながらも存在するのは事実だ)
刑法第39条の壁で大部分が不起訴になるので、警察は精神病院に事案を丸投げしてしまう。

しかも一旦「触法精神障害者」のレッテルが貼られると、
仮に身体的に加療が必要な状態(脳卒中など)を併発しても
一般病院に転院することは事実上出来ず(あからさまに嫌がられ拒否される)、
大学病院に至ってはなおさら出来ず、散々あらゆる病院をたらい回しにされた挙げ句、
結局元の病院に戻ってきてしまい満足いくケアを施すことが出来ない。

このプロセスにおいて精神障害者の症状はさらに悪化していく。
まさに知られざる"医療のデフレスパイラル"がここにあるわけだ。

このような重度の精神障害者が社会へ適応していくのは大変な困難を伴う。
精神医療の領域で彼らを支えていくのはもはや限界に近く、
社会や福祉がその役割を担っていかなければならないのは自明だが、
残念ながら制度やインフラはほとんど整備されていないというのが憂うべき現状だ。

では、触法精神障害者の処遇についての解決策はあるのだろうか。
著者は政策"以前"の問題として以下のことを指摘している。

「まず何よりも日本社会の底流にある心性を変えなくてはならないでしょう」 (p255)

本書では精神医療の惨状について淡々と感情を抑えて綴られているが、
その行間からは著者からの悲痛な叫びが聞こえてくる。
いや、行き場のない怒りと表現しても良いかもしれない。

-触法精神障害者の処遇における問題はひょっとして私たちの社会の写し鏡なのではないか...-

精神に障害を持つ人々に私たちはどのようにアプローチをしていけば良いか。
タブーなきオープンな議論をするためにも始めに現状はきちんと認識しておきたい。
精神医療の現場から重い課題を突きつける一冊。

ISBN 978-4-334-03292-0時間の止まった家 「要介護」の現場から
関 なおみ
光文社 2005-02-20
[光文社新書 192]

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まもなく日本は人類史に例を見ない超高齢社会へと突入する。
街中どこを歩いてもおじいさんおばあさんだらけ、という
漫画のような世界が現実になる日も遠くない未来に必ずやってくる。

5年前に導入された介護保険制度は
そんな超高齢社会を支えるために敷かれた経済的な布石だ。

しかしいくら経済学的アプローチから超高齢社会を斬り込んでも
高齢者の群像は見えてこない。
最近の高齢化社会を巡る論議で私が気になっているのは
数字の辻褄合わせに談論が終始しているところだ。

高齢者だって一人の人間である。
いくら素晴らしい介護保険制度が整備されても、
「生きがい」がなかったら人間は生きていくことができない。
そのセグメントに対して政府は有効的な政策を打ってきただろうか。

本書では一人一人の高齢者のありのままの姿を描いている。
しかもこの本に出てくる高齢者は皆「問題児」か「理由あり」で、
よくありがちな"お涙ちょうだい"的構成が成されていないのが斬新だ。
また作者の描写が非常にユーモラスで、
変人・猫屋敷…などの"困ったさん"な高齢者の奇妙な風景を軽快に描出している。

この本に描かれている高齢者の底流に流れているのは「寂しさ」だ。
子どもたちは独立し、老いが進行して体の自由が利かない。
"今日の繰り返しの明日"が延々と続く毎日。
「死」の足音が少しばかり近づいてきたように感じてしまう。
だけど迫り来る「死」の現実を直視するのは辛い。
だからこそ誰かにかまってほしい。でも一人で放っておいてもほしい。。。

読み進めれば進むほど高齢者の悲痛なココロの叫びが鼓膜に響く。

最後に筆者は日本の「家」制度に苦言を呈している。
「家」制度は確かに日本人のアイデンティティを形成したが、
21世紀の今となっては「家」制度の存在自体が
成長の障壁となってはいないだろうか、と。

「私が訪問し、滞在するなかで見えてきたのは、
 いわゆる社会的に「典型的な家庭」「標準的な家庭」を目指した、
 「家」に縛られた人々ほど、自分の家庭にジレンマを抱いて
 うまくいっていなかったし、反対に、無理せず自分たちなりに
 身の丈にあった「家」を築き上げてきた人々ほど、
 家族機能がうまく働いた、落ち着いた家庭を持ち、満足している、
 という事実であった」 (p239-240)

「家」づくりに失敗してなおも「家」に縛られる高齢者。
そんな高齢者にも私にも24時間という1日は毎日均等にやってくる。
だけども彼らの24時間は解凍されることなく闇に消えていく…

2008年4月

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