経済学の最近のブログ記事

ISBN 978-4-532-19248-8ランチタイムの経済学 日常生活の謎をやさしく解き明かす
スティーヴン・ランズバーグ/著  佐和 隆光/監訳  吉田利子/訳
日本経済新聞社 2004-09-01
[日経ビジネス人文庫 857]

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諸外国から「経済動物」とラベリングされる割に、日本人の経済学的思考力は実に弱い。
論理よりも情緒を重んじる国民性も相まってか、
経済学的思考と聞くと私たちはどこか胡散臭い響きを感じてしまいがちで、
教育の現場でも経済学的思考のトレーニングはあまり取り入れられていないのが現状だ。

だが経済学的思考は何も「金儲けのための考え方」や
「世の中すべてをカネで割り切る非道徳的な発想」にすべてが収斂されるわけではない。
むしろこの世の中に存在する複雑な事象を斬り込むためには必須のツールであり、
経済活動とは直接的に関係のない日常生活へも応用が利く代物でもあるのだ。

そんなツールがあるのならばこれは使わなければ損である。
ただ学校で教えてくれない考え方であるだけに、どうやって習得すれば良いのかがわからない。
もしそんな人がいたならば肩をポンと叩いてこの一冊を捧げるに違いないだろう。

本書は日常生活に潜む様々な"謎"を材料に、
経済学的思考を用いながら処方箋を提示していった一冊だ。
タイトルに『ランチタイムの経済学』とあるように
コンセプトはランチタイムでも気軽に読める経済学の書で、
どこからでもオムニバスに読めるよう細かく章立てが施されている。

しかし余計なお世話だと著者に思われるかもしれないが、
ランチタイムに読むにはかなり難解な箇所も一部にはあり、
(『第20章 ランダム・ウォークは株価理論なのか』etc.)
また世の経済学者たちはこんなに理屈っぽいことを
日々議論し合っているのかと思うと唖然としたくもなる。
が、内容は非常に興味深く、アメリカンジョーク的な皮肉を交えながら
展開されていく理論は斬新でありとてもユニークだ。

まず始めに著者は経済学的な思考体系の出発点をこのように述べている。
「私たちの論理展開の前提は、人が何をしようとも、それには立派な理由がある」 (p44)
私が"パソコンを買う"という経済的行為を行うのは
パソコンを用いて日々の生活を向上させたいという明確な目的があるからであり、
まかり間違っても全く興味がないのにパソコンを買うといった行動はしない。

なぜならば興味がないようなモノに大金を注ぐくらいならば、
その分を他の何かに費やしたほうが経済的であるからだ。
このように人々の行動にはたとえ無意識のように見えても何か理由が隠されている。
そして経済学者はここにスポットを当て、理論を展開していく。

この考え方を厳密に適用していくと、私たちが日頃抱いている考えとは
全く違う意外な結論が浮かび上がってくることに気付いてくる。
本書ではそういった例が豊富に収載されていて、
中でも『第14章 自動車の品質を高めるべきか』は特におもしろい。

もし「自動車の品質を高めるべきか」と問われれば、
何をわかりきった問いかけをしているのだと眉をひそめてしまう人もいるかもしれない。
自動車の品質を高めることは至極当然のことではないか、と。
しかし経済学的に見れば必ずしも当然のこととは限らないのだ。

そもそも品質と利潤に相関性は認められない上に、
高品質の製品を作るためにはそれなりのコストが必要とされる。
しかも国民全員が高コストかつ高品質の製品を求めているわけではなく、
やみくもに高品質の製品を作ることは効率的な面から見ると理に適わない。

それに高品質の自動車を売ろうと思えば他の企業から獲得すれば良いだけであり、
貿易・取引といった経済的行為で自動的に棲み分けが成されるのである。
もちろんここにはプライドが許さないといった心理的な問題も存在するが、
経済学的に見れば無理をしてまでも品質向上に固執する必然性はない。

また経済学的思考を政治へ応用したのが『第6章 正しい政策をどう考えるか』だ。
民主主義が機能していれば好ましい結果を生み出すと誰もが信じて疑わないが、
果たして本当にそうなのだろうか。

現代政治では多数決という手段で裁定が下されるが、
これとて過半数を獲得できぬほどに結果が拮抗していると結果に正当性は付与されない。
ではどのようにすれば真の民主主義たり得る投票制度が実現するかと言えば、
究極的には独裁者を作り出すしかないというパラドックスが結論として導き出されることになる。

全体を通して本書を読んでいるとこの世の現象のウラのウラまで経済学者はすべてお見通しで、
まるで神をも超越する全知全能の予言者のようにも思えてくる。
しかし著者は経済学者が持つ弱点についても言及を忘れていない。

「過去の経験だけを指針として、固定された環境の下で人間行動を予測するのは容易だ。
 だが、変化する環境の下で人間行動を予測するのは不可能である」 (p333)

経済誌などを読んでいると事ある毎にエコノミストはGDP予測を立てているが、
私の知る限り予測を毎年的中させ続けているエコノミストは一人もいないし、
あれだけ株式に精通しているトレーダーが全員金持ちなのかと言えばそうとも限らない。
経済実態を捉えることは専門家と雖もそれだけ非常に難しいわけなのだが、
逆に言えばだからこそ研究のやり甲斐があるわけでもあり、
今もなお経済学は豊穣なる理論で世界中の学者を魅了し続けている。

この他にも『統計で嘘をつく法』や『どうして映画館のポップコーンは高いのか』など
ユニークな疑問の素材が非常に多いのが本書を彩る最大の特徴だ。
読後には"経済学的思考とは何たるか"を全身で感じることができ、
気が付けば毎日の生活にその考えを無意識的に応用している自分がいた。

ただ、経済学的思考を過剰に適用してしまって、
初詣の時に引くおみくじに経済的価値を見いだせなくなってしまったのはご愛嬌かもしれない。
経済学的思考は絶対的な文明の利器ではなく、
飽くまでもツールの一つにすぎないことも肝に銘じておきたいものだ。

ISBN 978-4-480-06345-8この国の未来へ―持続可能で「豊か」な社会
佐和 隆光
筑摩書房 2007-02-10
[ちくま新書 641]

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先日、内閣府は今年の7-9月期のGDP速報値がプラス2.6%(年率換算)であることを発表した。
原油価格が高騰し、サブプライムローンの余波が日本を直撃しているにも関わらず、
そんな危機とは裏腹に数値は堅調な動きを示していて、財界はさぞかし喜んでいることだろう。

しかしGDP(国内総生産)は数ある経済指標のうちの一つにすぎないはずだ。
日本ではGDPだけが別格の扱いを受けているが(一面トップニュースにもなる)、
GDPがプラス成長だからといってそれが豊かさの証になるとは必ずしも限らない。

例えば年間5~6%の経済成長を記録した20年前のいわゆる「バブル経済」の時期は、
人々が空前の好況に沸いていた裏で自殺者も過去最高(当時)を記録している。
また江戸時代は今よりも遥かに経済規模が小さくて経済成長もほとんどなく、
庶民もホリエモンに程遠い質実剛健な生活を強いられていたわけだが、
それでも幸福に暮らしていたし、社会は今よりも安定していた。

どうやら人々が実感する「豊かさ」とは経済規模とイコールではなさそうだ。
ならば「豊かさ」とは一体何なのだろう。本当に日本は豊かな社会へと向かっているのだろうか。

本書はそんな「豊かさ」の意味をあらゆる観点から紐解いた一冊である。
主に教育・構造改革・環境といったエレメントから「豊かさ」の源流を探り当てており、
全体を貫くテーマには「持続可能な開発(sustainable development)」が据えられている。

「豊かさ」と聞いて真っ先に思い浮かぶのが経済成長ということなのか
ある日突然職を放り投げたのも記憶に新しい某A氏は
事あるごとに選挙カーの上で「成長を実感に!」と絶叫していた。
が、成長さえすれば一事が万事それですべて解決するといった考えは時代錯誤も甚だしい。
これでは真面目に生活すれば必ず貧困がなくなるとして国家が全国民を教導した
戦前の「感化救済事業」と全く同じ発想ではないか。

そもそも経済成長の時代はもう終わりを告げているはずだ。

「二十世紀の科学技術は、経済発展・成長に寄与することを、その主たる役割と心得てきた。
 しかし、二十一世紀の科学技術は「持続可能な開発」に資することを、
 その主たる役割と心得なければならない」 (p144)

石油のコストが安く、早急に整えなければならないインフラが山ほどあり、
欧米に追いつけ追い越せムードを国民全体が共有していた古き良き高度経済成長期。
まさに今の中国が日本の後を追いかけるように高度成長を謳歌しているわけだが、
その影で資源エネルギーの枯渇と環境破壊が想像を絶する以上に深刻化しており、
仮に農村部にまで経済成長の波が押し寄せれば確実に地球はパンクしてしまう。

このように21世紀は経済成長すれば良いという時代ではないのである。
悲鳴を上げている地球へ真摯に耳を傾け、環境を軸とした産業構造の転換を図り、
一人一人がいかに環境と共生しながら経済を持続させていくか--ここが問われているのだ。

そのためには企業戦士養成のための修練機関と化した教育をまずは変えなければならない。
このままでは旧来型の価値観が幅を利かし、21世紀に対応した国作りが出来なくなってしまう。
著者はポスト工業化社会を担う人材を輩出するためには抜本的な教育改革が不可避であり、
経済システムの思い切ったパラダイムシフトが必要であることを本書の随所で提言している。

「日本が「豊かな社会」になるためには、QOLの改善と知的水準の向上を図りつつ、
 環境制約を打ち破るイノベーションに成功することが必要にして不可欠である」 (p174)

一見ネガティブな要素である「環境制約」は実は21世紀型経済成長の起爆剤と化すのだが、
このことに関しては本書後半で詳しく述べられているのでそちらを参照されたい。
他にも環境問題を巡る一通りの争点についても本書に記載されている。

今、一番かっこいい人はヒルズに生息する錬金術師ではない。
どれだけ環境に優しい生活を出来るかが「かっこよさ」のバロメータなのだ。
さらに幸福な生活が出来るかもバロメータの一つに付け加えることができるだろう。

「「幸福」の源泉は、「参加」の意識、コミットメント(使命感)、シンパシー(他人の思いやり)」 (p68)

日本を「豊か」で「持続可能」で「幸福」な社会へするために…この本を捧げたい。

ISBN 978-4-00-026036-7都市経済論
杉浦 章介
岩波書店 2003-02-25
[岩波テキストブックス]

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京都市民である私にとって観光客は非常に身近な存在だ。
毎日のように修学旅行生を道で見かけ、標準語の人に声を掛けられ、
昨年京都を訪れた観光客数が約4800万人というのも日々の生活から充分に実感できる。

そんな観光客が京都の経済にとって重要なファクターであることには間違いない。
が、観光客は京都市民とは全く違う経済域に組み込まれていることに私は最近気付いてきた。

例えば観光客が食事を楽しむ場所は和菓子や湯葉などの"京料理"の店と相場は決まっており、
まかり間違っても京都発祥の王将や天下一品などの"京料理"の店へは足を運ばない。
観光客が四条通を闊歩することはあっても、五条通を徒歩移動する観光客はあまりいない。
要するに経済活動が市民と観光客とでは完全に分断されてしまっているわけである。

ならば果たして観光客が落としていくピン札君たちは一般の京都市民には流れているのだろうか。
そもそも都市経済は一体どのような仕組みでカネを循環させているのだろうか。

本書は「都市経済論」の枠組みについて概説した一冊で、
《産業集積》《空間的システム》《社会的共通資本》の3つの視点から都市経済の実像に斬り込んでいる。
文体のテンポも良く、具体例が豊富に収載されているのも本書を彩る好感ポイントの一つだ。

一般的に「都市」といえばあらゆる産業が集まっているイメージがある。
ではなぜ田舎ではなく都市に産業が集積していくのだろう。
それは一つの都市に産業資本を集中させることによって外部経済性が生じてくるからであるが、
第Ⅰ部の《産業集積としての都市経済》ではそのメカニズムが詳説されている。

第Ⅱ部の《空間的システムとしての都市経済》でのテーマは都市経済における空間の変容についてだ。
都市の真ん中にはたいてい繁華街があり、同心円状に住宅地が形成されていく。
マンションが建ち並ぶニュータウンの真ん中に工場が建つことはありえないし、
逆に歌舞伎町のど真ん中を宅地化することも都市政策的にはメリットがない。

つまり都市に偏在しているそれぞれの空間には何らかの存在意義があるのである。
本書では地代リング・モデルなどを用いながら空間的内部分化の必然性を科学的に証明しているのだが、
おもしろいのは米国の都市システムの変容を例にとって空間的システムが決定的に転化する実例を挙げているところだ。

高度情報化社会においてはTNC(=TransNational Corporations)が距離の摩擦や地代競争を解消し、
政策的な立地の概念はもはや意味を成さなくなってきている。
家の近くに本屋がなくたってインターネットがある限り本を買うのには不自由せず、
それ故に従来型の空間的システムで配置されていた街の本屋はその存在理由を失っていく。
そうすると商店街は空洞化の運命を辿ることは必至になるわけだけれども、
ではぽっかりと空いた穴を埋めるにはどういった都市政策が必要とされているのか。
...なかなか答えが出せぬ難問である。

最後の第Ⅲ部で考察されているのは《社会的共通資本としての都市経済》だ。
インフラと聞いて我々がイメージするのは道路や建物などの目に見える物体であり、
それらを利用するときにはfeeという可視的手段で人々に"利用"が意識される。

だけども大気や森林などの自然資本も広義ではインフラであり、
こちらは直接的なアプローチがないだけにどうしても市民側の利用意識を欠いてしまう。
そのために環境との関係に軋みが生じて様々な都市問題が湧き上がってくる。

「負の外部経済性を引き受けなければならない人々と、
 社会的共通資本の利用による便益を受ける人々とが一致しないために起る問題」 (p178)

ゴミ処理場は絶対に必要な負のインフラであり、誰だって近所にあってほしくないと願うものだが、
行政権力を用いて誰かに強制的に引き受けさせなければ、
マスとしての市民の便益が大きく損なわれ、結果として都市経済は埋没してしまう。

が、こういった便益の不均衡に対しては住民側の泣き寝入りで済まされているのが現実で、
自治体側もある程度の配慮はするものの税制上の特別な優遇措置はほとんど取られることがない。
(さらに言えばこういったマイナス要素はしっかりと地価に反映される)

この他にも例を出せばキリがないほどに社会的共通資本を巡る問題は山積しているが、
一つ一つの問題に対処していくためにはまずは都市経済に関する知識が必要である。
まちづくりが完全に住民主導となっていく時代はすぐそこまできている。
そんな素敵な時代が本格的に到来する前にせめて都市の仕組みだけは学んでおきたい。

シムシティをやる前に読んでおきたい一冊。

ISBN 978-4-12-101851-9入門 医療経済学 「いのち」と効率の両立を求めて
真野 俊樹
中央公論新社 2006-06-25
[中公新書 1851]

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医療は経済学的に「市場の失敗」と言われている。
経済における諸原則が医療という市場には機能しないのだ。

医療は独占市場であり、全国一律に診療報酬が定められている。
また基本的に供給側(医師)主導でサービス(診療)売買が進められていく。
特に治療方針や薬剤の選択は需要側(患者)の選択権がないに等しい。

さらに医療とカネを過度に結びつけるのは道徳的に何か後ろめたく、
そのせいか病院では表向きには金銭[げんなま]色が掩蔽されている。

マクドナルドに行けばメニュー表が上に掲げられていて、
「ビッグマック 280円  コーラS 100円」などと値段が表示されているが、
「初診料 2700円(ただし夜間の場合は7500円)」などと 
おしながきの如く受付で標榜されている医療機関はまず見当たらない。
(ちなみに初診料の診療点数は270点。
 1点=10円なので270×10=2700円  3割負担だと2700×0.3=810円)

本格的な高齢社会の到来で医療費が財政を逼迫しつつある。
医療費をいつまでも美声の下に聖域視することはもうできない。
いくら人命を扱う仕事といってもやはり企業並の「効率」や
自立した「経営計画」が必要なのではないだろうか。

本書は「医療経済学」という耳慣れない学問から
現代医療のおかれた経済的状況を深くアプローチしていく。
タイトルに「入門」とあるものの内容はかなりハイレベルで
教養書の範疇を越えてすでに専門書の域な感がある。

前半は医療経済学を理解するための経済学の基礎理論が書かれ、
中盤では最新の経済学に沿って医療経済学の輪郭を描出し、
後半になって初めて医療経済学の本質に触れることとなる。

日本は世界で最も恵まれた医療制度(国民皆保険など)が敷かれた国だ。
骨髄移植は自由診療だと軽く1000万円は超えるが、
公的な保険制度と高額療養費制度によって随分負担は軽くなった。

なので医療サービスを受けているときのコスト意識はあまりない。
現行の診療報酬制度では検査や投薬をすればするほど病院が儲かり、
かつ患者も喜ぶというWIN-WINな構造なので、保険財政は火の車である。

そこでいわゆる定額支払い制であるDPCが大学病院などで導入されたが、
これが吉と出るのか凶と出るのかはしっかりと分析せねばならない。
一番始めに述べたように医療自体が「市場の失敗」なので
経済学の手法を用いて分析するのは決して容易ではないのだけれども、
本書では様々な分析法が模索され、医療経済学の未来を切り開いている。

「いのち」と「効率」の両立が必要な時代の一冊。

ISBN 978-4-480-06320-5「小さな政府」を問いなおす
岩田 規久男
筑摩書房 2006-09-10
[ちくま新書 616]

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今、日本では「小さな政府」に向けて様々な改革が進められている。
「小さな政府」とは政府ができるだけ市場へ介入せず、
民間に任せて経済を活性化していこうという政策のことだ。

さて「小さな政府」になることは日本にとって果たして良いのか悪いのか。
そんな疑問に真っ正面から明晰に分析したのが本書である。

本書ではまず始めに「小さな政府」を理解するために必要な
マクロ経済学の基礎理論を数々の例を用いて紹介している。

そして「大きな政府」から「小さな政府」へと転換したイギリスや
「大きな政府」の代表的存在であるスウェーデンを例にとって解説し、
最後には日本の「小さな政府」への挑戦、すなわち一連の小泉改革について
様々な角度から功罪を総点検して、積極的な政策提言を行っている。

日本が現在どんな経済政策を掲げているのかが体系的に理解でき、
章構成が講義シラバスそのものなので、大学生にも親しみが持てる良書だ。

「日本は世界で唯一成功した社会主義国」とよく言われるように
政府・自民党は「国土の均衡ある発展」や「手厚い福祉国家」を目指して
全国遍く[結果の平等]網を敷き、一億総中流社会の構築に成功した。

このやり方が予想以上に上手くいきすぎたため、
バブル崩壊後の日本は「夢よもう一度」的な迷走を続けてしまうことになる。
極めつけは小渕内閣でのケインズ理論を悪用した政策の暴走で、
この国の借金はとんでもない額にまで膨らんでしまった。

こうなったら徹底的に無駄を削って財政を健全化させねばならない--
そこで小泉内閣では「構造改革」を断行し、
既存の価値観やしがらみと訣別して「小さな政府」へと大きく舵を取った。

その方向性は正しい上に時代の必然であることには間違いない。
が、郵政民営化にしろ三位一体の改革にしろ
肝心の内容が骨抜きにされて中途半端に終わってしまったのは問題だ。

そこに安倍"美しい国"内閣の登場である。
まだテイクオフしていない安倍内閣の経済政策だが、
今後どういった展開を辿るかは厳しく注視していかなければならない。
日本列島が"夕張化"してからではもう遅いのだ。

まずはこの一冊から日本経済の「今」を考えてみたい。

ISBN 978-4-08-720296-0北朝鮮「虚構の経済」
今村 弘子
集英社 2005-06-22
[集英社新書 296A]

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北海道の夕張市が去年ついに財政再建団体入りを果たした。
税収が10億円しかない自治体が私利私欲を尽くして暴走し、
採算性を完全に無視してハコモノを造り続け、粉飾決算を繰り返した挙げ句、
最終的には借金が約360億円にまで膨れあがってしまったのだ。

全く民主主義が機能していない実に恥さらしな自治体である。
議員はおいしい蜜を吸うために業界と癒着しながら行政を進め、
職員は粉飾決算という犯罪行為を組織ぐるみで行い、
市民も政治には無関心で権力の暴走を許してしまった。

こういったどうしようもない「夕張予備軍」は他にも日本中に存在するが、
夕張をも遙かに超える規模で財政が破綻している「国家」が近くにあった。

そう、北朝鮮だ。

教科書的に言えば北朝鮮は社会主義経済を標榜しており、
この国の憲法には至る所に社会主義の文字が躍っているのだが、
その実態はというと経済活動が完全に麻痺してしまったゾンビ国家で、
社会主義経済下においてあって然るべき長期経済計画も全くない。

にも関わらず暴動も起きずに"とりあえず"経済が機能しているという
本書の言葉を借りるならば
「社会主義経済の教科書にも、旧社会主義国の経済変革を説明する
 移行経済の教科書にも、そしてもちろん資本主義経済の教科書にも
 見つけることのできない特異な経済」 (p18)

を併せ持つのが北朝鮮の姿なのだ。

本書では北朝鮮の経済史を詳説し、この国の経済の本質に迫っている。
政治的な事象を一切切り離して純粋に北朝鮮の経済に斬り込んでおり、
この国の経済事情のありのままを知ることが出来る。

一言で言うと北朝鮮は"根性"の経済である。
政府によって生産目標は高く設定される。しかし資金や資材はほとんどない。
そういった状況でも「工夫してやれ」と上層部から発破をかけられ、
一般の人々は寝る時間も返上して朝から晩まで重労働に励む。

だが、資金や資材も乏しいのにどうやって生産性を向上させるのか。
こんな状態でどんなに汗をかいて働いても単なる徒労にすぎないのは
おそらく日本の小学生でもわかることだ。

そんな無茶苦茶な経済運営や虚偽の報告を繰り返した結果、
今の北朝鮮の経済は"測定不能"の状況まで疲弊してしまった。

では北朝鮮の経済状況を改善するための処方箋はあるのだろうか。
作者はこう断言する。
「北朝鮮の経済が根本的に回復する可能性は、
 現状では残念ながら「ない」といわざるをえない」 (p213)

しかし国家そのものが行き詰まることは目に見えているので、
いつかは日本もこの国の経済復興の一翼を担わなければならない。
そうなったときに一体どんなビジョンでこの国を復興させていくのか。
そのビジョンのカタチが全く政府から聞こえてこないのはどうしたことだろう。

ゲームならば北朝鮮の体制が崩壊したらそれでめでたくエンディングだが、
実際の政治では「その後」についても考えを巡らせなければならない。

あなたは日本人の一人としてどんな「その後」を描いているだろうか。
描くための道しるべとして本書をお薦めしたい。

2008年4月

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