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ISBN 978-4-334-03443-6実は悲惨な公務員
山本 直治
光文社 2008-03-20
[光文社新書 340]

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週刊誌の記事はあらゆる人・組織に対するバッシングで毎号溢れかえっているが、
そんな中でも定番となっているネタが公務員へのバッシングだ。

確かに最近はけしからん公務員たちが官庁や地方自治体に多数生息しており、
おまけにそういった公務員たちが"イイ思い"をしているイメージが染みついているだけに
公務員へのバッシングは正義の名の下にいかなるものでも正当化される傾向がある。

ただこういった公務員バッシングに"ミステイク"はないだろうか。
断っておくが私は何も公務員の既得権益を擁護しているわけではなく、
官僚の不祥事や地方自治体の腐敗ぶりには怒り心頭している"しがない"一般市民だが、
そんな私から見ても「このバッシングの仕方は違うんじゃないか」と思うことが結構あるのだ。

例えば一連の年金問題で社会保険庁がこれでもかとバッシングされているけれども、
何も社会保険庁だけが悪いというわけでは決してないはずである。
政策を牽引した旧厚生省や「100年安心」などと嘯いた政党も責任の一端を担っているはずなのに、
なぜかノンキャリアの社保庁職員だけが集中的に叩かれているこの理不尽な現実。
やはりバッシングの仕方にどこか問題があると考えるのが賢明なのだろうか。

本書はマスメディア等で頻繁に行われる公務員バッシングに疑義を呈し、
公務員が置かれている"意外に悲惨な"実情に目を向けて、
その上で正しい公務員バッシングのやり方とは何かを考察した一冊だ。
悪意に満ちてこの本を解釈すれば、公務員の言い訳・屁理屈が満載で、
公務員が日頃どのような思考回路で職務を遂行しているのかが手に取るようにわかる。

基本的な構成としてはバッシングのネタにされやすい天下りや勤務実態などの事項を
世間に誤解されている点を指摘しながら、一つずつ丹念に検証していっている。
この流れにおいて一般にはあまり知られていない公務員にまつわる真実が次々と表出し、
中には意外と思われるものまであったりして非常に興味深い。

例えば天下りと聞くと誰もが「諸悪の根源である」とイメージングしがちだが、
本書ではすべての天下りが悪いわけではない、と世間とは正反対の主張を展開している。
「社会的に存在意義がある事業・組織に、余人をもって代えがたい適任者として選ばれた人が、
 職責に見合った待遇で着任しているなら別に非難されるいわれはないのではないか」 (p78)

というわけであり、下手すれば職業選択の自由をも奪いかねない。

仮に天下りがダメだとすれば民間へ転職していくしか進路はなくなってしまうのだが、
「公務員出身者に勤まるのか...」などといった公務員への偏見が依然として根強くあり、
そういった思惑を払拭しない限り天下り禁止は難しいのではないかという主張は傾聴に値する。

また「マスメディアとそれに煽られた世論が特定の問題を騒ぎ立てるのも、
 多くは一時的なものにすぎず、しばらくするとケロリと忘れ去られてしまう傾向がある」 (p180)

とあるように、マスメディアにおける過剰報道への視線も厳しい。

ある自治体Aの公務員が窃盗犯で捕まったという新聞記事が配信されると、
「公務員はけしからん」「自治体Aの責任者はどうなってるんだ」とバッシングが始まり、
自治体Aに勤務する他の公務員のブログも炎上する事態になることがあるが、
冷静に考えれば窃盗が公務員特有の犯罪というわけではなく、
捕まったのがたまたま公務員だったという話だけではないかという疑問が出てくる。
それを一般化させて無理矢理公務員バッシングへと昇華させていくのは、
日々真面目に勤務に励む善良な公務員の士気を無駄に下げかねることにもなりかねない。

では有益なバッシングをするためには結局どうすれば良いのだろうか。
その処方箋がエピローグで述べられているのだが、
いささか精神論に偏りすぎてしまってあまり有効とは言い難いのが残念なポイントだ。
「根気」で解決できるならばとっくの昔に公務員問題はすべて解決されているはずであり、
願わくばもう少し建設的かつ理論的な提言をしてほしかった。

公務員の実態を知りたいあなたに贈りたい一冊。

ISBN 978-4-02-273196-8公務員クビ!論
中野 雅至
朝日新聞社 2008-02-28
[朝日新書 96]

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今年に入っても公務員の不祥事は絶えることなく世を揺さぶり続けている。
こういったニュースがワイドショーなどを通じて報道される度に
公務員に対する国民の眼はますます厳しさを増し、
タックスイーター化する鬼畜公務員に対する怒りはもはや爆発寸前だ。

だがその割には親が子どもに就かせたい職業の一位は現在でも公務員であるし、
国家によって地位が絶対的に保証されている上に給料も安定していて、
公務員はオイシイ職業であるという固定観念が日本人に根付いているのも事実である。

しかしながら公務員の未来はこれから日を増す毎に厳しくなっていくに違いない。
公務員間の給与格差は今よりも否応なく拡がっていくだろうし、
民間企業でいう"解雇"にあたる分限免職も広範に行われていくと予測されるからだ。
つまり公務員が民間企業に比して安泰だった時代は過去の遺物なのである。

本書は公務員を取り巻く現状を元官僚が詳説した概説本で、
今話題の公務員制度改革を斬り込む上でまずは読んでおくべき必須の一冊と言えるだろう。
著者は市役所職員からキャリア官僚へ転身したユニークな経歴をお持ちの方で、
それだけに厳しい時代を生きていくことになる現役公務員に対してのエールも大きい。

さて偏に公務員と言っても、一般的には国家公務員と地方公務員に大別される。
また国家公務員は試験種別によってキャリア(Ⅰ種)・ノンキャリア(Ⅱ種・Ⅲ種)に分けられ、
霞ヶ関の本省で出世コースに乗ることができるのは基本的にキャリアだけだ。
(最近ではノンキャリアも積極的に重要ポストへと登用される傾向あり)

なので公務員を取り巻く問題も職種によってずいぶん性格が違うのが実情である。
キャリアでは天下りが問題となっているし、地方公務員では職員の資質が問われがちだ。
本書ではマスコミを踊らせている公務員バッシングネタが職種別に整理されており、
今、公務員の何が問題となっているのかが丁寧に解説されているのでポイントを掴みやすい。

そもそも今の公務員制度は非常に硬直的で、良くも悪くも平等主義が蔓延しすぎている。
本省では深夜まで残業というのがもはや当たり前の光景と化しているが、
多くの出先機関ではきちんと定時に仕事を終えることができ、
それでいて両者の給料はほとんど変わらないのである。
真面目に働く公務員も怠けて働かない公務員も給与や労働環境は同じが原則なのだ。

さらにこのご時世にも関わらず未だに年功序列が強く機能しているため、
個人にどれだけ実力があったとしてもなかなか昇進へとは結びつかない。
これでは民間企業のようにもっと汗水流そうというインセンティブが働かないではないか。

となるとある一つの極論が眼前に浮かび上がってくる。
"公務員なんてすべて民営化してしまえ!"
"役所は効率性だけを重視して顧客重視主義に転換しろ!"

だが本書を読めば上記のような新自由主義的な構造改革が
公的な組織には馴染まないことが即座にお解りいただけるであろう。
そう、自治体とはもともと慢性的赤字経営を強いられる運命なのである。

市場では採算が成り立たないが誰かがやらねばならない事業が世の中にはあり、
(ex.生活保護,高齢者医療,過疎地のインフラ整備...etc.)
そういった事業は役所が採算度外視で引き受けざるをえないのだ。
効率性さえ長けていればそれですべて良しという理論は公的な分野では通用せず、
「役所は民間企業に比べて考慮すべき価値基準があまりにも多い」 (p247) ことを忘れてはならない。

また何でもかんでも民間にアウトソーシングしたとしても、
「コスト削減の陰で、非正規雇用の人たちを大量に働かせて人件費を浮かせたり、
 商品の品質を偽装したりするケースが後を絶たない」 (p186)

ことからわかるように、効率性の抜本的な改革には何の効果も持たない。
このせいで非正規雇用の人たちが仮にワーキングプアへと陥ってしまったら、
最終的には行政で救済していかなければならない結果となるのは自明であり、
そうなると余計に非効率な行政運営を強いられることになってしまう。

さらに格差社会が拡大すれば公的部門の受益と負担の概念もより明確になっていくだろう。
社会保障は充実されて然るべきだが、その財源は富裕層からの税収によって成り立っている。
故に社会保障ばかりに目を向けると、富裕層に対して不公平な利益配分となってしまい、
要するに受益と負担の関係が著しくアンバランスとなってしまうのだ。

富裕層にもある程度利益を還元しないと、次第に彼らは他の自治体へと逃げていくだろう。
すると街には社会保障財源のスポンサーがいなくなり、被扶養者ばかりが溢れかえる。
その結果、貧困に起因するイメージ悪化から人材が流出して地価も下がり、
財政も破綻してしまい、廃墟と化した街を前にして国直轄を請うて身投げする...

そんな社会になったとき、公務員は今まで通りの仕事ぶりで果たして対応できるのか。
第七章では来るべき未来に対応するための新しい公務員像を提言しているのが興味深い。
平等主義のぬるま湯に浸かりすぎていると、これからの時代は致命的な転帰を辿ること必至だ。

その他にも公務員制度改革として世界各国のNPM(新公共経営)の例が紹介されていたり
「官民統一」から「官民流動性」への公務員制度改革のビジョンが打ち立てられていたりするなど、
やや専門的な話も織り交ぜながら、本書は公務員問題の核心に迫っている。
テレビの扇情的な特集番組を見るならば本書を読む方が有益であると太鼓判を押せるし、
だからこそみなさんにもこれを機会にぜひ読んでいただきたい。

公務員を知るための最初の一冊。

ISBN 978-4-06-272476-0京都・同和「裏」行政 現役市会議員が見た「虚構」と「真実」
村山 祥栄
講談社 2007-12-20
[講談社+α新書 380-1C]

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BOOK REVIEW 150 読売新聞京都総局『京都 影の権力者たち』では、
社会の裏に潜む権力者たちの様々な実相について取り上げたが、
他にも京都には決して表立って語られることのない裏の顔がある。

同和行政の問題だ。

2006年・夏、相次ぐ市職員の不祥事問題で京都市に激震が走ったことは皆様もご記憶だろう。
覚醒剤、窃盗、傷害、横領といった刑法犯から、半日しか働いていない就業の実態、
幽霊バスの存在、税金垂れ流しの現場…など暴力団顔負けの犯罪オンパレードで、
幹部を含めて77人が処分されるという異常事態にまで発展した。
「公務員はどうなってるんだ」「これほどまでにレベルが低いのか」
と市民の怒りも頂点に達し、京都市への信頼も地に堕ちてしまったものだ。

が、ちょっと待ってほしい。ここで注意深くデータを読み解く必要がある。
実は不祥事を起こした職員の”なぜか”半数以上が環境局に集中しているのだ。
どうして環境局ばかりにこうも不祥事が多発するのか。
もちろん京都市の監督責任が一番に問われることは言うまでもないが、
かつての同和行政で行われていた優先雇用制度がその一因にあることは否定できない。
この件に関しては桝本頼兼・現京都市長も議会で公言しており、事実を認めている。

京都市民として自分が住んでいる自治体を批判するのは心苦しいものがあるが、
先の事実が明示するように同和行政の腐敗はあまりにも醜く、
財政非常事態宣言をした市政の「癌」と化しているのは誰の目にも明白だ。
それ故に市民は今一度同和行政の残滓を再認識し、ありのままの実態を把握し、
そして真の意味での同和行政終結へ向けたロードマップを一考していかねばならない。

本書は同和行政という名のパンドラの箱を開けてタブーへ挑戦した衝撃の一冊だ。
京都市会唯一の無所属議員である著者は一連の不祥事問題の火付け役となった人物でもあり、
2003年の市会議員選挙にて最年少記録で当選後、2007年の選挙ではトップ当選も果たした。
第一章ではそんな著者の政治活動の源泉が歩んできた人生と共に語られており、
”組織や政党に縛られず、しがらみのない若手だからこそ出来る市政改革”を実現するために、
現在も政党には所属せずに孤軍奮闘されている。だからこそタブーの追及が出来るのかも知れない。

過去にあった不幸な歴史を清算すべく政府は1969年に同和対策事業をスタートさせ、
2002年には当初の目的が達成されたとして国策としての同和行政はすべて終了した。
京都市も同年「同和事業の終結」を高らかと宣言し、同和行政は過去の遺物…
…となって然るべきなのだが、実は京都市の同和行政は未だに地中化で継続されている。

本書では地道な政務調査によって得られた結果を赤裸々に公表しているのが特徴的だ。
行政が発表する資料がいかに現実と乖離しているかがよくわかり、同時に憤りを感じてならない。

例えば隣保館と呼ばれる旧同和地区における行政窓口的存在の施設がかつてあったが、
同和行政終結と共に近隣住民に広く開かれたコミュニティーセンター(コミセン)へと衣替えが成された。

ところがその実態は実質的に同和政策の継続と言って差し支えのないことが本書でわかったのだ。
なぜか貸館を拒み続けている謎の部屋の存在や一部住民にだけ占有されている体育館、
関係者以外お断りの超豪華なボクシングジム、誰も通わない文化講座…
つまり社会に広く開かれて然るべき公共施設が一部地域の住民に事実上独占されており、
その管理費までもが億単位の税金で賄われている醜い実態が本書によって浮き彫りになっている。
京都市全域にこういったコミュニティ施設が点在するならまだしも、
「旧同和地区にしか存在しないことが大いに問題」 (p146) なのだ。

さらに驚くべきは旧同和地区に建設されたいわゆる改良住宅の居住実態だ。
一般の公営住宅と違って緩い基準で格安に(家賃1~2万円)借りることができるのだが、
その不正利用が後を絶たず、高級車を所有しているのに家賃を滞納している住民も少なくない。
そんな悪事をずっと不問に付している京都市の姿勢は甚だしく問題であると言えるし、
民間ならば確実に破綻しているにも関わらず、政策転換を行う気配もなく
ひたすら税金を注入し続ける京都市の公金感覚も麻痺していると言わざるを得ない。

こういった旧同和地区への際限なき特別扱いが地域外住民の「逆差別」感情を生み出し、
旧同和地区住民の自立を妨げ、いつまで経っても差別がなくならない悪循環に陥っている。
ワーキングプア、待機児童、医療格差など生命に関わる政策課題が噴出し、
当の京都市も緊縮財政を強いられている現状において、
終わったはずの同和行政をこれ以上優遇する必要性は全くない。
著者も言うように同和行政は一日も早く完全終結させるのが筋ではないか。

折しも2月には京都市長選挙が行われる。
市長選において同和行政を争点に掲げることを著者が進言しているように、
行財政改革を遂行するにあたって同和行政の問題を避けて通ることはもうできない。

ここで市長選までに市民が一丸となって争点を整理することが何よりも求められる。
政党や団体のプロパガンダに流されることなく、まずはガラス張りの実態を直視して、
その実態を基に市民一人一人が政策の妥当性をじっくりと腰を据えて考える。
もし争点化を避け既得権益に逃げるならば、京都市は第二の夕張へと転落していくだろう。

京都市の同和行政を考える材料として本書は非常に有意義である。
本書を京都市民必読の一冊としてここに捧げたい。

ISBN 978-4-13-032204-1講義 現代日本の行政
新藤 宗幸
東京大学出版会 2001-03-19

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年金の未払い問題が参議院選挙を直撃している。
国民年金は今や政府公認のマルチ商法と言っても良いくらいその信頼は大いに失墜した。

こういった問題が出てくるとすぐにマスコミは「官僚はけしからん」「役人はダメだ」とバッシングを始め、
"悪の枢軸=霞ヶ関にいる官僚たち"というステレオタイプが瞬く間に世間に醸成される。
特に最近は社会保険庁や天下りの問題なども相まって官僚の評判がすこぶる悪い。

が、一昔前までは官僚に対しての国民のネガティブイメージはほとんどなかった。
政治家は今も昔も国民の信任を全く得ていないが、官僚が優秀なのがせめてもの救いだという声が大勢を占めていたのだ。

確かに官僚は優秀である。難関の公務員試験をクリアしてきたのだから能力面では折り紙付きだ。
日々の実務では国家の政策を実質的に掌握しているのだから生半可な能力では太刀打ちできない。
さらに言えばとにかくよく働く。薄給ながらもフリーター以上に毎日遅くまで働いている。
残業が終わるのは次の日の朝だということも珍しくはないくらいなのだ。

このように書けば国家公務員が聖職のようにも思えてくるのだが、
そんなに飛び抜けて優秀な彼らがどうして良からぬ方向へと足を踏み外してしまうのだろう。
そこには日本の官僚制が有する特異な構造的問題があった。

本書は日本の行政システムの仕組みを様々な側面から照らし出し、
現行の制度が持つ問題点を考察して改革の方向性を示した気鋭の学術書だ。
ちょうど省庁再編の時期に執筆されたものなので新制度に対する期待と展望が記されていて、
逆説的に見れば小泉前首相がいかに官僚と政治の距離を変容させたかがわかり、今読むととてもおもしろい。

序章を経てまず第1章では官僚独特の制度・組織・人事についての解説が成されている。
よく知られているように日本の官僚制には厳格なヒエラルキーが支柱にあり、
基本的に官僚は国民の利益よりもいかに職階を登り詰めていくかに腐心する傾向を有している。

官僚にとって役職は何よりも絶対的な存在で、そのことが行政にしばしば弊害をきたしている事実は見逃せない。
例えばヒエラルキーの頂点に位置するのが事務次官であるわけだが、
同期の誰かが事務次官ポストを握ると他の官僚は自動的に退官せねばならない慣習が霞ヶ関にはある。

では退官したら無職になるのかと言われればもちろんそうではなく、
公益法人という名の集金組織を拵えてそこへ大量に"天下り"しているのだ。
しかもその公益法人が退官する官僚に合わせて毎年増加していて、国の財政を逼迫している。

民間企業とは違って外部からの風が全くといっていいほど入らないせいか、
官僚は非常に閉鎖的な組織に没してしまっていて、政府にとって最大の抵抗勢力は今や官僚となった。
安倍政権の下で公務員制度改革が密かに進められているけれども、
この法案は自民党お家芸のザル法であり、この程度での改革では官僚の姿は決して変わらない。
官僚制の膿を出し切ることが事実上誰にもできないのが事態の深刻さを物語っている。

続く第2章では権限・権力・行動について述べられている。
中でも力を入れて解説されているのは「行政指導」を中心とした日本の「許認可行政」の在り方だ。
行政指導は日本独特の行政手法で、このやり方があったからこそ日本は奇跡的な経済成長を可能とした。

何らかの法令違反を会社が犯して、法に基づいて即刻制裁されることは実は稀で、
たいていは「今回は甘く見るけど、次やったら承知しないぞ」といった類の文書を会社に通達して"指導"する。
つまり 「法的な強制力をともなわない「お願い」の体制」 (p89) をとっているわけであり、
こういった持ちつ持たれつの信頼関係で日本の行政は事前規制型の典型として発展してきた。

しかしこのやり方では自由な経済活動というのが保証されずどうしても企業活動が萎縮してしまう。
そこで昨今では事後チェック型へと改革が進められ、日本の行政にも随分と風が靡くようになってきた。
この詳細は第5章の《改革と体制》で詳しく述べられているので行政の"今"を理解するためにもぜひチェックしておきたい。

教養書ではなく学術書なので内容は大変高度だけれども、
行政に少しでも興味があるならば最後まで知的に楽しく読み通すことができるはずだ。
また内容の一つ一つが非常に濃く、"なんとなく"わかったつもりになっていた行政機構の複雑な仕組みが
一気にチャンキング化されて氷解していくのは痛快ですらもある。

行政の未来を真剣に考えたいあなたへ贈る一冊。

ISBN 978-4-12-101865-6ドキュメント 検察官 揺れ動く「正義」
読売新聞社会部
中央公論新社 2006-09-25
[中公新書 1865]

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物好きな私は友人と共に何回か裁判所を訪れたことがある。
別に被告人になったわけでも証人として呼ばれたわけでもない。
"社会見学"の一環として裁判を傍聴したいと思ったからだ。

憲法82条第1項に「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」とあるように
裁判は特別な手続きなしにいつでも誰でも自由に見ることが出来る。
裁判所の受付にあるファイルにはどの被告人がどのような罪で何号法廷にて裁かれるのかが記載されていて、
公判が開かれている法廷のドアを開けるだけですぐに傍聴することが可能なのだ。
つまらない映画を見るくらいならば裁判所へ行って公判を傍聴した方がいろんな意味で勉強になり、
これだけのリアルな人間ドラマを"無料"で見ることが出来るのだから利用しない手はない。

さて私が裁判所(大阪地裁)へ行ったときは、比較的軽微な犯罪の公判を傍聴した。
そこでものすごく印象に残ったのは検察官による完璧なまでの犯罪の立証である。
『秋霜烈日』という言葉の通り、反論の余地がないくらいに被告人を厳しく追い詰め、
否認し続ける被告人に対して「本当はやってるんでしょ?」と余裕のブローを放つ検査官がやけにかっこよく見えたものだ。

検察官は国家公務員の中でも非常に強大な権力を握っていて、その気になれば総理大臣をも起訴できる。
が、そもそも検察官とは一体何をやっている人たちなのかが一般人にはあまり見えてこない。
本書はそんな検察官にスポットを当てて彼らの真の姿を映し出した力作で、
読売新聞社会部による法曹三部作@中公新書の完結編だ(読売新聞の連載をまとめたもの)。

まず最初の《被害者を前に》と題された章では冷徹なイメージが先行しがちな検察官の人間的な一面が紹介されている。
現行の裁判では一人を殺しても余程残忍な手口でない限りは"慣例"として死刑になることがない。
しかし被害者家族にとって到底納得のいける判決でないことは容易に想像できる。
大切な人の命を奪っておきながら死刑でないとは何事だ。検察官だって家族が殺されたらきっと同じ心情を抱くに違いない。

しかし量刑が感情に踊らされてはならない。法律の理論を精緻に組み立てて求刑を行うのが検察官の仕事だからだ。
「情状」と「法律」に揺れるジレンマに悩まされる検察官の姿がこの第一章では鮮烈に描かれている。

第三章の《特捜の光と影》で描かれているのは検察官なら誰しもが憧れる特捜部だ。
大物政治家の闇に迫り、巨額のカネを正義の名の下に洗い出す特捜部の検事たちは
他の誰よりも高潔なモラルを求められ、最前線の現場は一瞬の弛緩たりとも許されない緊張の連続を強いられる。

この"政治と検察"の関係は政治学的には非常におもしろい考察対象となりうるのだけども、
新聞記者が著した本書では飽くまでもジャーナリスティックに政治と検察を交叉させていて、
東京佐川急便事件や日歯連の迂回献金事件などを例にとりながら検察の功罪について鋭く追及している。

さらに最後の第五章では《あすへの模索》と題して検察官の在るべき未来像についての模索が試みられている。
2009年に裁判員制度が導入されると司法が市民にとって今よりももっともっと身近なものへと変貌していく。
難解な法律用語を魔法のように振り回し、どんな微細な証拠でも徹頭徹尾調べ上げていた検察官は
この制度の導入によって公判時間短縮やわかりやすい調書作成を迫られてくるだろう。

今までは法曹関係者さえ納得していればそれで良かった。だがこれからの時代はそうとはいかない。
市民の眼が入り込むことによって赤レンガの常識が衆目に晒され、世間の常識という科戸の風が検察に靡いてくる。
それが良い方向へ進むとは必ずしも限らない。隙を突いて悪が暗躍していくかもしれない。
かといって市民の眼が入り込まなければ検察はいつまで経っても世間と隔絶された裸の王様だ。

まさに今検察は正念場を迎えようとしていて、そんな検察の現在進行形がこの本には遍く収められている。
そして読んだ後には裁判所へ足を運んでぜひ公判の傍聴をしてほしい。
なぜならば私たちに課された国からの宿題はありのままの司法を理解することなのだから。

裁判員制度が始まる前に読んでおきたい一冊。

2008年4月

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