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ISBN 978-4-00-431100-3腎臓病の話
椎貝 達夫
岩波書店 2007-10-19
[岩波新書 新赤版1100]

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身体の中の老廃物を除去して尿を生成する腎臓は人体の中でも非常に重要な臓器である。
また、ほとんどの腎臓病が不可逆的であるが故に、
何らかの原因でいったん腎臓が機能不全に陥ってしまうと
患者はやがて人工透析をするか腎移植をするかしか生きる道がなくなってしまう。

しかし現在の日本での腎移植は欧米に比べて極めてケースが少なく、
大多数の腎不全患者は人工透析(血液透析 or 腹膜透析)で命を繋いでいるのが現状だ。
2006年12月現在の透析患者数は26万人を超えており、日本は”世界一の透析大国”となった。

が、飽くまでも人工透析は対症療法にすぎず、
長く続けていたからといって腎臓が回復することはまずありえない。
それどころか週3回・4~5時間を一生続ける透析(血液透析の場合)は心身ともに負担が大きく、
世界一成績が良いとはいえ大多数の施設で10年生存率は残念ながら半分にも満たない。

ただ、腎不全=透析導入では決してない。
透析が医学的に適用になる頃はすでに末期の段階であり、
逆に末期でなければ薬物療法を用いて透析導入を遅らせることが出来る。
さらに近年では”遅らせる”だけでなく”導入阻止できる段階”にまで進歩して-----

本書はタイトルにもあるように腎臓病全体についての知識を紹介した概説本で、
一般向けに口語体で書かれているせいか私のような素人が読んでも大変わかりやすい。
中でも最も力を注いで解説されているのは「慢性腎臓病(CKD)」の保存療法についてだ。

いわゆる「保存期慢性腎不全」は少し前まで「透析前腎不全」と名付けられていた。
どんなに良い治療をしていても透析に入る運命はほぼ100%避けられなかったからである。
なので保存期の治療は「これだけ治療をしたのだから、もう悔いはないだろう」と
透析に入る前に行う心の整理のための儀式みたいな意味合いを持っていたのだ。

しかし近年になって保存治療をしっかりやれば腎臓は守られるという認識が急速に高まり、
透析に入らないまま一生を過ごす人もにわかに増加してきた。
私が興味を抱いたのはその要因が新しい薬剤を導入するなどといったハード面の変革ではなく、
患者自身が単に自己管理を徹底するといったソフト面の変革にしか過ぎなかったことだ。

本書では手品師が種明かしするかのように著者による実践例を余すことなく紹介している。
24時間蓄尿することの重要性(リアルタイムに蛋白摂取量などを監視)。
「腎臓病手帳」にデータをすべて貼り付け(正しい知識と自己管理が病状改善への近道)。
生活上の制限はなるべく緩和(厳しい制限だと逆効果)。
…など、ほんのちょっと工夫するだけで透析導入が劇的に改善している事実はまさに驚愕だ。
いかに医者と患者が人間関係と信義構築をサボっているかが如実に現れている。

さらに経済的にも人工透析は出来る限り回避する必要がある医療手段だ。
人工透析は1人あたり年間約500~600万円もかかるほどの高額医療で、
高齢者人口の増加でただでさえ火の車の医療財政を逼迫している。
(おまけに次年度の診療報酬改定では透析関連の診療報酬がさらに下げられる見込み)
また糖尿病から腎不全を併発する「糖尿病性腎症」も増加していて、
なおかつ腎不全自体が脳梗塞や心筋梗塞の強力なリスクファクターと化すので、
透析回避ないしは腎機能回復は医療行政において喫緊の政策課題であることは否定できない。

そこで著者は現状を打開するための起死回生の策として「非血縁者から腎移植」を挙げている。
現在、日本での腎移植は血縁間の生体移植と死体からの献腎移植のみが認められていて、
脳死移植に関しては規制が厳しすぎて未だに数えるほどの例しか施行されていない。
それを骨髄移植のように非血縁者からの提供も可能にしてしまえば、
腎移植の可能性は無限大に拡がり、国にとっても患者にとっても福音であるというわけだ。

ところが昨年起こった宇和島徳洲会病院での臓器売買事件のように
比較的誰でもドナーになりやすい腎移植ではどうしても不正が蔓延りやすい。
また骨髄移植では骨髄が可逆的に原状回復するのに対し、
腎移植の場合は腎臓をまるごと一つ摘出してしまうせいか、
術後の機能低下が起こる事例も少なからず存在する(理論的にはないとされているが)。

また血縁だからといって金銭のやりとりが絶対にありえないということもなく、
(親戚からの借りを返すために腎移植に踏み切った例もある)
そうなると血縁と非血縁を隔てている壁は一体何なんだという話にもなりかねない。
フィリピンでは国家管理の下で報酬付きの非血縁間腎移植合法化の動きも出ていて、
その動きに対して国際学会が反対表明するなど世界全体も一つにまとまっておらず、
何が正しい答えなのかはもはや誰にもわからない段階にまできている。

このように腎臓病を取り巻く現状は前途多難だ。
そんな中で今、私たちに出来ることと言えば腎臓病に対する理解を深め、
腎臓病にならないような(特に糖尿病予防として)生活を送ることではないだろうか。
”沈黙の臓器”を老後まで守り抜くためにも健康な生活を心がけたい。

腎臓病を知るために大切な一冊。

ISBN 978-4-12-100984-5痛風 ヒポクラテスの時代から現代まで
木原 弘二
中央公論社 1990-08-25
[中公新書 984]

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先日、大学で後輩に声を掛ける(「最近どう?」から始めるのは私の定番スタイル)と
彼は浮かない表情と共にこんな言葉を私に返してきた。

「Keiさん、オレ痛風の発作で病院行っちゃいましたよ~」

痛風と言えば中高年が罹る病気の代名詞ともいって良いくらいのイメージがあったのだが、
どうやら最近は糖尿病と同じく低年齢化が進行しているようである。
若年患者が周囲にいることがわかり、決して人ごとではないと身を引き締めた自分がいた。

さて痛風とは尿に排泄できなかった尿酸が関節へ沈着して炎症を起こす病気で、
何らかの原因で血液中に尿酸が増えすぎたことが主因とされている。
最近では痛風が原因で重篤な症状へと陥ることは少なくなってきているものの、
それでも放置しておくと腎不全や脳卒中を起こす危険性が高まるので楽観することは決してできない。

痛風は古代から何かと注目されてきた病気で、歴史上の偉人にも痛風に苦しんだ者は数多い。
(それ故にかつては「帝王病」という異名をとっていた)
また化学的にみても尿酸というのは実におもしろい物質で、
尿酸が発見される以前もヒポクラテスの時代から痛風の原因が探られてきた。

本書はタイトルからしてもわかるように「痛風」という病気にスポットを当てた本なのだが、
痛風の治療法や予防法などをテーマとして扱った医学書ではない。
いわゆる"How to 痛風"が記述されているのは第一章の数十ページのみで、
その他は科学史や尿酸の化学的構造、人体の代謝の仕組み等にページが割かれている。
"話の媒介に痛風をもってきた生物学の書"と解したほうがすっきりくるだろう。

尿酸の化学的記述に関しては大変専門的に書かれているので、
予備知識がないと一体何が書かれているのかがさっぱりわからなくなってしまう。
(特に著者の専門である細胞生理学の箇所は若干飛ばしすぎな感があり)
逆に言えば新書サイズながらも内容がかなり本格的なだけに
本とじっくりと格闘すればかなりの知識が得られるに違いない。

最終章では《病気の要因》とは何かについての根源的考察を行っており、
痛風とは直接関係ないテーマであるものの、この章にて著者は未来の生物学に警鐘を鳴らしている。

痛風の臨床経過で厄介なのは"尿酸値が高い=痛風を起こす"というわけではないことだ。
痛風を起こす患者が必ずしも尿酸値が高いとは言えないのだが、
尿酸値が高いという事実は痛風にとって大きなリスクファクターとなる。
また尿酸値を下げればそれですべてが解決するわけではなく、
複合的な要因から病気の真の原因を探っていかなければならない。

が、これが案外難しい。
人間の体は試験管の論理では理解不能なほどかなり複雑に組成されており、
科学的な手法を厳密に用いても生体の反応を明晰に説明することは困難を伴う。
痛風の場合にどうして人によって発作の時期や臨床データがこれほど違うのかといった理論的な説明は
遺伝子工学が劇的に進歩した現代でも未だに出来ないのが実状なのだ。

それを学者たちは「体質の違いのせいだ」と口裏を合わせたかのように一蹴する。
では体質とは具体的に何を指しているのか。そもそも体質とは何だ。
体質に問題の核を丸投げすることは生物学の進歩から単に逃避しているだけではないのか。
...学界に対する苛立ちが代弁されたかのような著者の文体がやけに印象に残っている。

読み終える頃には痛風のことなどすっかり忘れてしまい、
生物学が放つミクロな魅力やこの学問全体が抱える問題に脳内回路が奪われてしまった。

タイトルと内容が少々乖離気味なブラボーな一冊。

ISBN 978-4-12-101877-9感染症 広がり方と防ぎ方
井上 栄
中央公論新社 2006-12-20
[中公新書 1877]

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日本は世界一とも言って良いくらい清潔な国だ。
上下水道や各種の生活環境が整備されたおかげで
かつて多数の死者を出したコレラや天然痘は征圧され、
結核の流行も現代では発生しなくなった。
(ただし結核は現在でも罹患しうる病である)

人々の清潔志向も年々高まっていき、
あらゆるものが無菌化され、街には抗菌グッズが溢れている。
しかし毎年のようにインフルエンザが猛威を振るい、
昨年にはノロウイルスが全国的に大流行した。

このクリーンな社会でどうして感染は広がってしまったのか。
その絡繰りを詳説し、実効性のある予防策を提言したのが本書だ。

我々の一般的感覚からするととにかく清潔にしてさえすれば
感染症にかかることなんてないのではないかと思いがちなのだが、
実際は決してそういうわけではない。

過度の抗菌は人体には無害な微生物までをも除去してしまう。
が、この微生物こそが免疫力を刺激して抗体を作るのであって、
少しは汚い状態とも接していなければいざ病原体が侵入した時に為す術がない。
ここに清潔社会の落とし穴が存在すると著者は指摘している。

インフルエンザについては「政府が無料マスクを国民全員に配る」 (p158)
ことを政策提言しており、ワクチンに頼る医療体制に警鐘を鳴らしている。
たかがマスクと侮ってはならない。マスクは低コストで絶大な効果をもたらすのだ。
私は骨髄移植によってすべての免疫がリセット(=赤ちゃんと同じ)され、
免疫抑制剤の影響もあって免疫が一般人に比べて総じて低いのだが、
きちんとマスクを着用することによって一度も感染することなく過ごせている。

本書では最後に性感染症についても触れている。
「環境の清潔化をいくら進めても、その伝播をおさえることはできない」 (p164)
のが性感染症の特徴で、この脅威には人智で対抗せねばならない。

かといって本能である性欲を抑制することは難しい上に、
エイズに至っては有効なワクチンが未だにないので、
コンドーム着用があらゆる観点から見ても有用であると結論づけている。

感染症に対峙するために必要なこととは一体何なのか。
本書と共に考えてみるのもいいだろう。

2008年4月

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