哲学の最近のブログ記事

ISBN 978-4-16-660005-2孤独について 生きるのが困難な人々へ
中島 義道
文藝春秋 1998-10-20
[文春新書 5]

by G-Tools


銃を使った痛ましい事件が立て続けに二つも起こった。
中でもバージニア工科大学の学生が銃を乱射して32人を死傷させた事件は
2001年に大阪の小学校で起きた連続児童殺傷事件の悲劇とふと頭の中でシンクロした。

社会への憎悪、自分自身への嫌悪、蓄積されたコンプレックスが爆発し敵愾心が生々しく牙をむける...
周囲から孤立した人間が「一発逆転」を狙って成功者に対して無差別に殺戮する背景には
心の闇を打ち明けることのできない「孤独」な境遇にあるのではないかと私は感じてならない。

別に孤独であることは悪いことでも何でもない。
人生において適度な孤独は人間性を高める上でもむしろ必要なことである。
しかし過度の孤独は毒にしかならない。いわば孤独は酒のような存在だ。
あまりにも長時間孤独にいると性格が偏屈になって社会性が著しく後退し、
やがて周囲との軋轢が生じてきて自滅への道へと歩んでいく。

が、世の中は広い。そんな「孤独」な境遇に幼き頃からひたすら耐え、
長い年月を経てついに「孤独」を悟る境地にまで高めた学者が日本にいた。

本書は気鋭の哲学者が自らの壮絶な孤独体験を吐露した告白エッセイだ。
サブタイトルに「生きるのか困難な人々へ」とあるものの、
実社会ではほとんど役に立たないセオリーが満載で賛否両論の分かれる一冊でもある。

「単に社会に馴染めない卑屈なおっさんが自己を正当化させるために書いた本」
と切り捨てるのは容易だが、この本には一種の"美学"というものが透徹されている。
「孤独」という一つの生き方を自らの人生を賭けて神の領域にまで高めるという生き様には
平凡な人生を歩む私たちにも何か訴えかけるものがあるのではないだろうか。

本章の構成も最初は自らの孤独体験を自虐的に(しかもユーモアを交えて)語っているに過ぎないが、
だんだん「孤独を選び取る[第四章]」くらいの余裕さが出てきて、
ついには「孤独を楽しむ[第五章]」境地にまで自身の孤独観を昇華させた。
そして最後の最後も「孤独に死にたい(終章)」...

かつて私の愛する歌手:宇多田ヒカルは孤独の反対語を「無知」であると綴った。
異国の地で何の罪のない学生を大量殺戮した犯人を擁護する気持ちは更々ないが
その犯人が殺人という形でラディカルに訴えた「孤独」の呻吟は受け止めなければならない。
日本社会に銃が合法化されていたら同じ悲劇は起こっていないと胸を張って言えない今なら尚更だ。

在るべき「孤独」の姿とは。この本で少し考えてみたい。

ISBN 978-4-86248-114-6人はなぜ死ななければならないのか
小浜 逸郎
洋泉社 2007-02-21
[洋泉社新書y 169]

by G-Tools


どんなにお金を持っていても、どんなに地位が高くても、
人間としてこの世に生を受けている限りはいつか必ず「死」が訪れてくる。
「死」を避けることは現代の高度文明においても誰一人としてできない。

さて、そこで一つの疑問が生じてくる。

『人はなぜ死ななければならないのか』

するとスピリチュアルやら占いやら宗教などがこぞって"あっちの世界"の存在を持ち出してくるが
そもそも"あっちの世界"なんて存在しないと思っている著者や私のような人間にとっては
どうしてもその理論が"まやかし"のように聞こえてしまう。

本書はそんな人類の永遠のテーマに対して哲学的見地から鋭く斬り込み、
人が死ななければならない理由について徹底的に黙考した気鋭の哲学書だ。

まず最初に作者は「人は何のために生きるのか」という論題から考察を始める。
結局のところ私たちは毎日何のために生きているのだろう。
そこで著者が出した答えを簡潔明瞭にまとめると以下の文章に集約される。

「「人生全体」には、あらかじめ与えられた意味や目的など
 一切存在しないと観念すべきである」 (p48)

「愛する人のため」「地域や仲間のため」「出世して豊かな生活を送るため」...
私たちは今日や明日を生きるために小さな[目的]や[意味]を無意識のうちに設定しているが、
では人生全体では、となってくるとなかなか話は難しくなってくる。

かつて作家の五木寛之も『人生の目的』という著書の中で、
「人生の目的とは「人生の目的」を探すことである」と表現したように
所詮人生なんて明確な意味や目的など存在しない人間の惰性な営みなのかもしれない。

そして次の章では「哲学・思想はほんとうに役に立つのか」と自問自答をし、
さらには「死はなぜ不条理で恐ろしく、また悲しいのか」と問題を根元まで深く掘削している。
最後の章でいよいよ表題の疑問を紐解いていくわけだが、
結局のところ著者はこの不朽の疑問に対してどのような答えを読者に提示したのだろうか。

「結論から先に言えば、人はまさに人たる資格において、
 「死ななければならない」のである」 (p159)

ここに至るまでのダイナミックな論旨展開は実際に読んでいただくとして、
要するに野暮なことを考える以前に問答無用に人は死ななければならないというわけだ。
「死」というのは人間にとって絶対に必要な遺伝子プログラムなのである。「死」なしに「生」はない。

これは仮に「死」の概念が全くない場合を考えてみるとわかりやすい。
例えば今から数百年後に医学の進歩で人が永遠に生きられることが可能となり、
「よかったねぇ、おじいちゃんおばあちゃん。これから先もずっと生きられるようになったよー。」
と言って身体が衰弱しきって介護も常時必要とされる老人は果たして喜ぶのかという疑問だ。

かといっていくら死期が近づいていても、心の中でどれだけ死にたいと思っていても、
いざ何者かに銃口を突きつけられたら恐怖感を抱いて激しく抵抗するのが人間の"性"というものである。

「死」があるからこそ「生」に潤いを与えることができるわけだけれども、
どんなに死ななければならないということをわかっていてもやっぱり「死」はとてつもなく怖い。
すべてが細胞単位で消滅していって、ただひたすら「無」になるのが「死」なのだ。
「無」である世界を想像してみると...ゾクっと悪寒のような寒気がしてしまうだろう。

もちろん「死」に対してはいろんな考え方がある。
そんな中でも今日は哲学の世界から「死」の意味を探ったこの本をここに紹介することにした。

2008年4月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

最近のブログ記事

最近のコメント

Creative Commons License
このブログのライセンスは クリエイティブ・コモンズライセンス.
Powered by Movable Type