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ISBN 978-4-334-00387-6青春をどう生きるか いまやらなくて、いつやれる
加藤 諦三
光文社 1981-11-05
[カッパ・ブックス 2-40]

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いくつになっても考え込んでしまう癖が直らない自分には辟易させられる。
遊んでいても食事をしていても常に何か別なことを考えていて、
まるで頭の中にCPUが2スロット埋め込まれてしまったかのような錯覚を常に抱きがちだ。

どうして私はそこまで無駄に物事を考えてしまうのだろうか。
それは私の人生において"師"となる人間が一人もおらず、
常に自分自身がレールを引いていかないと社会的生存が困難になってしまうからではないか。
私にとって「考える」という知的行為は"生"へと直に繋がってゆくのである。

すべての出発点は高校の退学届を出した瞬間からだ。
その時に私の担任(といっても短い付き合いだったが)であった高校教師は
社会の荒波に飛び立っていく私に対してこのような餞の言葉を贈ってくださった。

「天王寺から梅田へ行くには地下鉄が一番近くて早いけど、景色は何にも見えへん。
 それに対して環状線で行ったら遠回りになってしまうけど、景色がたくさん見える。
 だから遠回りすることもええんちゃうかな。よく考えて自分自身で未来を切り開いてね。」

こうして私は人生を何周も遠回りすることになっていくわけだが、
肝心の道しるべが全くなく、山道で一人っきりになったような孤独も同時に背負うことになる。
誰一人として頼るべき人がいないからには、自分で道を切り開いていかなければならない。
だから私はいろんな本を読んで、会う人間のすべてを洞察して、ひたすら考察を繰り返した。
『青春をどう生きるか』という永遠の命題についてもエンドレスに悩んだものだ。

そんな頃に出会った本が今回ご紹介するこの一冊だ。
以前紹介したBOOK REVIEW 87 加藤諦三『大学で何を学ぶか』の姉妹本ということから
本書のページを捲ってみたのが、確か17歳の頃だったように思う。

著者が体験した数々のエピソードと共に人生の教訓などが綴られていて、
今読むと「なんて説教臭い本なのだろうか」という思いを抱いてしまうのだけれども、
人生の先輩からの助言を活字という媒体を通して渇望していた当時の自分にとっては
大変有意義な書物であり、心に深く刻まれた一冊であった。

「まず一歩を踏み出すのである。
 そして、第二歩は、第一歩を踏み出してから考えればいい」 (p41)

考えてばかりいて行動に移すことがあまりなかった自分にとって、
この言葉が意味する真理はストレートに私の心へ響き、耳が痛んだものだ。
どんなに崇高な考えを心の中に構築したとしても、
行動を伴わなければ現実的に全く意味を成さないわけであり、
行動から逃避するために考察に甘んじていると捉えられてもおかしくはない。

さて本書で印象に残ったもう一つの言葉はこれだ。

「敗れることは、けっして惨めではないと、ぼくは思う。
 惨めなのは、精魂の限りを尽くして敗れたのではなく、
 なんの努力もしないままに敗れることなのだ」 (p92)

でも人生経験を積み重ねるに連れて、敗れることは惨めなのじゃないかとも思えてきた。
幸いにもまだこの世に必要な人間と判断されたのか私の病気は寛解状態を保っているが、
検査結果がいつ暴発するかは誰にもわからない。少なくとも今は暴発する確率が有意にある。

正直、毎回の検査結果の増減には今でも心臓が縮こまる思いを抱いてしまうし、
微妙な結果が出る度に飼い殺しにされている気分に陥ってしまう。
ケセラセラで笑い飛ばせない自分自身も辛い。考え込んでしまう"性"を呪いたくもなる。

それでも普段は起死回生を賭けた人生の目標に向けて邁進していく日々を送っているのだが、
突然また病気になってしまったことを考えてしまうと、立ち位置を考えさせられてしまう。
最強の治療をしたにも関わらず病気が再燃したら、その時点で私は予後不良だ。
もう草木が靡いて人間たちが蠢くこの世界に帰ってくることはできない。

これだけ頑張って、ようやく社会復帰にまで漕ぎ着けて、
それでも生きることができないとしたら、それは綺麗事を抜きにして惨めなだけではないか。
第三者がどれだけ美しく形容しようとも、若くしてこれ以上生きれないという厳然たる現実は
屈辱そのものでしかないのではないかと数多の人々の転帰に直面して思うようになってきた。

ならば限界まで抗がん剤治療に挑んで、管に繋がれたまま天に舞うよりも、
潔く諦めて、努力せず楽しむことに一点集中したほうがまだ惨めさを回避できなくはないか。
だとしたら私が是としてきた「考え込む」行為は一体何のために存在したのか。
考えないほうが上手くいくならば、思考は人間が生み出した虚構の産物に過ぎないのか?

...死と隣り合わせに生き続けて、もうすぐ2年半になる。
10代の頃に思い描いていた『青春をどう生きるか』のビジョンは完膚無きまで崩れ去り、
新しい人生目標を前提とした『青春をどう生きるか』のビジョンが秒単位で着々と進みつつある。

生きるしかないのだ。とにかく生きろ。生きるんだ、生きまくってやるんだ。
そして老境に入ったときに『青春をどう生きたか』を述懐すれば良いではないか。

青春の折り返しに差し掛かった今、改めてこの本をここに捧げたい。

ISBN 978-4-10-114439-9あの世 この世
瀬戸内 寂聴 玄侑 宗久
新潮社 2006-05-01
[新潮文庫 せ-2-39]

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「ヒトが死んだらヒトはどうなるのか」という永遠の命題に対しては
国家や民族や宗教によって様々な違った捉え方がある。

日本人的に言えばヒトが死んだら今度は「霊」になって
この世で生きている人たちを遠くから見守ってくださる、
という考えが一番ポピュラーのように思うのだけれども、
中には完全に「無」になって原子も分子も存在しなくなるという
極めて現実的な考えをされる方だっていらっしゃるかもしれない。

では仏に仕える聖職者ならばどういったお考えをされるのだろうか。
きっと良い答えがあるに違いないと信じ私は本書を読み進めていた。
そして「答え」......

「わからない」

私は思わずたまげてしまった。
死んだら極楽へ行ってお花畑に囲まれながら毎日生きる...
なんていう"古典的説法"を密かに期待していたのだけど、
正面切って「わかりません」と言われたからにはどうしようもない。
お釈迦様だって「無記」と黙してあの世について何も語ろうとはしなかった。

聖職者だからといって森羅万象を知悉しているわけではない...
そんな謙虚な著者のお二人の姿勢にふと私は好感を抱いた。

本書は二人の対談(というよりも放談?)で構成されている。
帯コピーに「仏教入門」とあるので教養的な内容かとも推察されるのだが
系統的に仏教を語っているわけでもなければ、
ひたすら「あの世 この世」について論じている本でもない。
それどころか蓋を開けてみると大胆な発言のオンパレードであり
ここまで語って良いのかという内容も相まって実に興味深い。

修行中、いかにしてサボるかを延々と考えた話。
「一夫一婦制は問題だと考えています」 (p136) から端を発し、
男女関係の真髄に迫ったタブーを切り開く法話...

文壇の大御所である2人だからこそ語れる含蓄溢れる世界。
現代社会の風潮にも警鐘を鳴らしつつ、将来の希望へと教導していく。
激動の人生を生き抜いた先人たちのお言葉は何よりも重みがある。

明白な答えが書いてあるわけではないのだが、
「人生の休憩時間」として少しばかり読んでみるのもいいかもしれない。

ISBN 978-4-10-128922-9悪人正機
吉本 隆明 糸井 重里
新潮社 2004-12-01
[新潮文庫 よ-20-2]

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コピーライター:糸井重里を聞き手に迎えて、
"思想家の巨人":吉本隆明が様々なテーマから
人生の本質を探っていった一冊。

「学者とかの、通り一遍の論理で言われたって、どうも納得しねえな」 (p304)

とあるように堅苦しい哲学調で論じているのではなく、
中学生でも理解できるように出来るだけ平易な言葉を用いて
口語体で綴られているのが本書の特徴だ。

「生きる」ってなんだ? 「仕事」ってなんだ? 「戦争」ってなんだ?
など1億人いれば1億通り答えがあるような人類普遍の命題に対し、
吉本は逆説的なアプローチで深層に斬り込んでいる。

「働くのがイイなんて、それはウソだよ」 (p67)
「円満な家庭なんて、そんなものはねえんだよ」 (p157)

どんな教科書もどんな宗教の教義も
ただキレイゴトを理想論として並べているだけで、
一髪千鈞な世の中である現代においては
もしかしたら何の役にも立たないシロモノなのかもしれない。

全員がマザー・テレサになれば世界は平和になるのであろうか。
ある一つの目標に向かって全員が猪突猛進に努力をし、
全員が人格者でかつ自らの命も他人のためなら惜しまない…
そういったいわゆる"ユートピア"を目指して
既存の学校システムや宗教は人類が誕生してから何千年にもわたって
人々を善なる道へと教道してきたわけだが、
皮肉にも教道すればするほど
世界は"ユートピア"とは逆の方向へと軸を向けていった。

そこで救世主となるかもしれないのが
本書のタイトルにもある『悪人正機(あくにんしょうき)』の概念だ。
どんな概念なのかは本書にバトンタッチするとして、
複雑化しきった現代においては多少アウトローな考えを持つことが
マストとまではいかないものの少しばかり必要なのかもしれない。

"プッチいい加減イズム"の大切さをこの本でちょっと考えてみませんか?

ISBN 978-4-00-430931-4生きる意味
上田 紀行
岩波書店 2005-01-20
[岩波新書 新赤版931]

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今さら言うほどのことでもないが、日本は世界に冠たる経済大国である。

街を歩けば至る所に24時間営業のコンビニがあり、
食糧や水に困ることはこの国ではまずありえない。
識字率もほぼ100%で誰もが高度文明社会を享受することができ、
携帯電話は一人一台持っていて当たり前の世の中だ。

しかし諸外国から見ればものすごく恵まれているこの国の人たちは
なぜこんなにも自分を見失っているのだろうか。
そしてなぜこれほどまでにも心を病んでしまっているのであろうか。

そんな日本人が抱えている数々の"病理"を紐解き、
現代人に求められている「生きる意味」の構築を試みたのが本書だ。

昭和30年代~50年代にかけて日本は歴史上に類を見ない
驚異的な経済成長を遂げ、米国に次ぐ世界第2の経済大国に君臨した。

「経済成長教」という新興宗教を人々はこぞって信仰し、
カネがあれば、名誉があれば必ず自分は幸福になれると確信していた。

自分という人間を出さなくても、世間の風に乗っていれば
年功序列や終身雇用に代表される日本独特のシステムで
それなりの水準の生活は維持できたし、
周囲に合わせておけばいいのだから、波風が立つ心配もない。

子ども達はと言うとテストで出来るだけ良い点数を取り、
出来るだけブランドのある学校へ進学し、
世間様に顔を見せれるような会社へ就職する…
それこそが一番の幸福なのだ、と世間体を気にしながら
自己喪失感に嘖まれる親から教えられてきた。

しかしよく考えてみたい。
お金をたくさん持ったから…だから何?
名誉をたくさん手に入れたから…だから何??
テストで100点とったから…だから何???
というかそもそもなんで世間の眼をそこまで気にしなければいけない??

要するに「数字」や「恥」の概念があまりにも先行しすぎて、
ことの本質、つまり「中身」が空疎な存在と化してしまい、
そのことが「生きる意味」を見失わせてしまっているのではないか
と著者は論拠づけているわけだ。

この書においては他にもグローバリズムや経済理論からも
「生きる意味」の本質に舌鋒鋭く追求しており、
最後では「生きる意味」を構築するための
コミュニティーの新しい"かたち"を様々な角度から模索している。

特におもしろいのは文化人類学者である著者が
構造改革の実効性に正面切って疑問を呈しているところだ。

構造改革によって既得権益が崩れ、
誰にでも平等に機会が与えられる自由な競争社会が実現する----

一見すると人々に希望の活路を見いだし、これこそがQOLを上昇させ、
世界平和にもつながる"神の手"のようにも思えるが、
しかしそれでは人々の「生きる意味」の進展には貢献しないというのだ。
逆に構造改革が進めば進むほどどんどん人々は
「生きる意味」を見失っていくと著者は明言している。

その理由は本書へバトンタッチするとして、
非常に印象に残ったセンテンスをここで引用したい。

「自分自身を、そして社会の構造を効率化し、
 経済化すればするほど強い人間になり強い社会になるというのは
 全くの誤りだ。それは一見強そうでいて、
 実は極めて脆弱な人間と社会を作り出す」 (p181)

ビジネスライクを極限まで追い求めることこそ
人生の充実につながると考えているあなたに捧げたい一冊。

もうお金と名誉の時代は終わりましたよ、ニッポンの皆様。

2008年6月

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