Southern All Starsの最近のブログ記事

ISBN 978-4-04-883602-9素敵な夢を叶えましょう
桑田 佳祐
角川書店 1999-12-31

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私がサザンのファンになった頃(今から10年前=1997年夏)、ちょうどサザンは低迷期を迎えていた。
シングルがそれほど売れるわけでもなく、テレビ出演や活動がメディアの話題を浚うわけでもなく、
そこにあったのは過去に一世を風靡して今は休火山となってしまった大御所バンドの姿だった。

桑田のインタビュー記事を辿ってみると1997年から急に自嘲気味な発言が多くなる。
前年までは「まだまだ若者には負けてられねー」といった気迫が発言からも感じられるのだが、
1997年になると「もう、いいや...」と白旗を揚げがちになってきて、
もっと攻撃的になってもいいであろう20周年の時も妙に自信喪失な発言が誌面を覆っていた。

さらに言えば当時は理屈に理屈を重ねたような小難しい発言もかなり目立っていた。
それはシングル『PARADISE』が発売されたときにレコード店にて配布されたフリーペーパーで
シングル盤の☆の意味(8cmシングルでは☆マークに穴が空いていた)を
南国の文化や自身の音楽的姿勢に照合させて延々と説明していたことからも伺えるし、
当時レコーディングされていた『さくら』のセルフライナーノーツ(『WHAT'S IN?』)でも、
細かすぎるといって良いくらいの仔細な定義付けが各曲に施され、
当時の私には"桑田佳祐=一秒の妥協も許さない職人的音楽家"観が見事に刷り込まれることとなった。

さて本書はそういった時期に綴られた70編のエッセイをまとめた単行本だ(残念ながら文庫化はされていない)。
『Tokyo Walker』に連載('98/2-'99/7)されていた桑田風語りおろしエッセイを完全収録し、
単行本用の特別編とポラロイド写真館を付け加えたファン垂涎の一冊である。
(余談ながらポラロイド写真館の写真の一つ一つには桑田による一言オチが付けられており、
 桑田がいかにハイセンスな笑いを持っているミュージシャンであるかがわかる)

『「おっぱい」から「教育問題」まで、ぶったぎりのエッセイ集』と帯コピーにあるように
硬軟問わず幅広いテーマにおいて桑田独特の視点からばっさりと斬られているのが読んでいて気持ち良い。
そしてぶっちゃけトークが比較的満載ということも本書の特色ではないだろうか。

「男が女のオッパイをしゃぶるっていうのは、大いなるテレ隠しではないかと思う」 (p58)
「いま俺が中高生なら"常時右手骨折状態"」 (p85)
「俺としては挿入よりもキスのほうが断じて好き」 (p116)

などといったセクハラすれすれの居酒屋エロおやじトークが最初から最後まで全開で、
こういったエッチなトークをためらいなく素顔のままで話せる桑田佳祐はまさに男の憧れでもある。

また桑田が音楽的な戦略を語ったり苦言を呈している貴重なエッセイを収載されていることにも注目したい。
FC会報の代官山通信や音楽雑誌のインタビューではほとんど語られない攻撃的な愚痴トークが随所に散見され、
当時の桑田が音楽的に切羽詰まった状況であったことが今読むと痛いほどにわかってしまう。

さらにファンの間からは悪名高い桑田の"舌"についてのマニアックな考察も綴られている。
実は私と桑田佳祐の"舌"には共通するところが結構あるのだが...

「醤油にワサビをたっぷりと溶かしてさ、ドロドロの"自家製ソース"を作って、
 そこにネタを浸して食べたいんだよね」 (p52)

その通り!(児玉清風に)

「まず熱い麺に平然と冷たいモヤシをのせる店はダメね。
 俺はモヤシ・フリークでもあるから許せないのよ」 (p139)

その通り!!(アタックチャンス風に)

桑田のエッセイ集の中では最もおもしろい内容となっているので、
サザンオールスターズのファンで桑田佳祐に陶酔する者ならばまさに必読書だ。

"好きにしていいのよ"な一冊。

ISBN 978-4-7897-1284-2娘心にブルースを
原 由子
ソニー・マガジンズ 1998-04-25

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サザンオールスターズのファンになりたての頃、私はJ-POPに狂酔していた。
そんな当時の私の愛読誌はJ-POP総合誌の『WHAT'S IN?』で、
どんなマイナーなアーティスト記事でも毎号隅々まで事細かく読んでいたものだ。

その『WHAT'S IN?』にて'97年の終わり頃から我らが原由子の連載が始まった。
連載といってもソロ活動の宣伝を兼ねた3回ぽっきりのライトな企画だったのだけれど、
愛読誌からの思いがけぬプレゼントにファンになりたての私は大いに舞い上がったのを今でも記憶している。

原由子といえば桑田佳祐の愛妻であり、言わずと知れたサザンオールスターズのキーボーディストだ。
神経質な桑田とは対照的に大らかでのんびりした性格の原はサザンにとってまさに"紅一点"の存在であり、
『マンピーのG★SPOT』『エロティカ・セブン』といったエッチな曲も彼女の存在によって淫靡さが見事に中和されている。
桑田がハゲヅラを被って卑猥なポーズと共に歌っていても不快感を感じさせないのは
やんちゃな子を見守る原坊の母親的な存在が大きいといっても決して過言ではない。

その連載の最後で原坊がエッセイ集を出すという告知があった。
タイトルは『娘心にブルースを』。桑田佳祐の処女作のタイトルだ。
(もっとも桑田自身は『茅ヶ崎に背を向けて』が処女作であると著書で公言しているが)

本書は主に著者の自叙伝的な内容で構成されており、
幼年時代から近況に至るまでの約40年の人生が時系列順に凝縮されている。
現在のところ唯一のエッセイ集で、内容はこの本のための全編書き下ろし。
2002年7月には文庫化もされていて、単行本にはない一編が書き加えられた。

途中には若干デリケートな話題も出てきたりするのだけれど本書を貫くトーンは総じて明るく、
あまり回想したくないであろう辛い思い出も文中ではすべて笑い話に変換されてしまっている。
原由子の持つ天性のポジティブさが文体からひしひしと伝わってきて、
ファン以外の方がこの本を読んだとしてもかなりの好感を抱くに違いない。

音楽活動に関する本書収載のエピソードは以前からファンに広く知られたものが多いのだが、
(ex 「原由子...mind」「鎌倉物語レコーディング」etc.)
桑田夫妻のプライベートなエピソードは本書で初めて公開されたものが多い。
中でも私がかなりおもしろいと思ったエピソードはp166からの「結婚!」だ。

話の詳しい流れは原坊独特の文体から読み取るのがベストだと思うのであえてここでは記さない。
が、このエピソードを読んで桑田佳祐と原由子はなんと類い希なる素敵なカップルなんだろうと改めて認識したし、
そんな二人がいるサザンオールスターズのファンであることを心から誇りに思った。

一人のミュージシャンとして、一人の女性として、一人の母親として...
原由子の魅力が存分に詰まった一冊で、ぜひ一度手にとって読んでみていただきたい。
あなたの疲れ切った心にきっと潤いをもたらすことになるだろう。

負けるな女の子!な一冊。

ISBN 978-4-06-185171-9平成NG日記
桑田 佳祐
講談社 1992-06-15
[講談社文庫 く-18-2]

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『稲村ジェーン』という1990年に公開された映画がある。
監督がサザンオールスターズの桑田佳祐というビッグネームであったせいか
興行的には大成功を収めたものの、内容的には各界から酷評された問題作だ。

確かにミュージシャンが創った映画とだけあって音楽面では素晴らしい。
しかし肝心の本編は『真夏の果実』の大長編PVだと割り切って見ればまだ見れないことはないものの、
「映画」としての完成度はメッセージ性・表現性が著しく乏しく、残念ながら駄作と言わざるを得ない。

もちろん桑田がこの映画で何を表現したかったのかというのはファンとして痛いほどよくわかる。
式で表現すれば従来型の映画は[A→B→C→D]で起承転結がはっきりしており、
凝った映画とかになると矢印が複線になったり逆になったりして物語に深みを持たせているわけだが、
桑田がこの映画で表現しようとした世界観は[(A=B=C=D)=E1+E2]で、
個々の情景は等価関係であり、サザン独特の曲構成をそのまま映画という枠に投射したに過ぎないわけだ。
(映像表現技術が未熟であったため当時は桑田自身の思うような作品が撮れなかったが、
 その13年後に発売されたDVD作品『Inside Outside U・M・I』では
 "監修"という立場ながら随分と理想の形へと映像を昇華することが出来た。)

本書はそんな『稲村ジェーン』製作にまつわる桑田監督の真意を探る貴重な一冊である。
1989年9月から1990年6月まで毎月行われた桑田佳祐と佐伯明のインタビューを再構成して
巻末には桑田佳祐と村上龍の対談を付け加えたスペシャルリミックスバージョンだ。

映画に関しては全くの素人だった桑田は完全なる我流でこの映画を製作した。
しかし映画が好きで好きでたまらないから撮ったというわけではなく、
どちらかというと「映画」よりも「映像」を撮りたかったのではないかとインタビューから感じてならない。

「<桑田>だから映画っていう言葉が大嫌いなんだけどね、オレ。
 <佐伯>そうなんですか。じゃ今、何を作っていると言われたら?
 <桑田>ていうか「映画」っていうと偉そうじゃん、なんか。」 (p21)

この時点で桑田監督はすでに「映画」から背を背けており、
作品の全体像についてはこうも言い放っている。

「結局行き先がどこにあるのか正直言って分からない。(笑)」 (p33)

監督がそう言っちゃあおしまいだよ、ともツッコミを入れたい気もしないでもないが、
結局完成に至るまで『稲村ジェーン』の核に据えるコンセプトは迷走に迷走を重ねた。
本書を隅から隅まで精読しても『稲村ジェーン』を見たいという気持ちが一向に芽生えてこないのは
映画に懸ける「思い」や監督の「意気込み」「魂」が全く伝わってこず、
逆に"内輪のやっつけ仕事"を誇示するかのような文言が多いことに由来するのではないだろうか。

また本書のインタビューでは当時のサザンの活動についても話題が及んでいる。
『稲村ジェーン』がその後のサザンの活動を決定付ける大きな一つの分岐点となるだけあって、
映画製作と絡み合わせた桑田によるサザン観は今読んでも非常に興味深い。

桑田は本書の"はじめに"において、

「この「平成NG日記」をこれからの将来、
 何か迷った時にもう一度僕自身がきっと読み直すだろうし、
 この本の最後の読者はたぶん僕だろうと思います」 (p7)

と書き連ねているが今の桑田がこの本を読んだら一体何を思うだろうか。
その答えを直接本人に聞いてみたい衝動に思わず駆られてしまう。
今の桑田と「平成NG日記」の桑田に明確な線引きは出来るのか否か。

『稲村ジェーン』を観る前に読んでおきたい一冊。

ISBN 978-4-06-184043-0ロックの子
桑田 佳祐
講談社 1987-08-15
[講談社文庫 く-18-1]

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桑田佳祐はインタビューが実に好きなミュージシャンである。
ライブやテレビには出たがらない桑田もインタビューだけはどうやら例外のようで、
新曲発売時に数十冊の雑誌や全国各地のラジオ局のインタビューに答えるのはもはや慣例だ。

ファンクラブ会報で連載されている『オールスター讀物』も初期はエッセイを掲載していたのに
いつの間にか最新インタビューが収載されるコーナーとなってしまった。

本書は1982年~1984年に雑誌等で発表されたインタビューを再構成し、
ロックスター:桑田佳祐の生い立ちから現在(※当時)の活躍までを一冊に収めたファン垂涎の書だ。
ちなみにタイトルとなっている『ロックの子』はサザン未発表曲のうちの一つとなっている。
(作詞・作曲者不詳となっているものの明らかに桑田が作った曲。単行本発売は1985年2月。)

前半は少年時代~大学時代を時系列順に回想していて、
幼き頃から音楽に囲まれてとにかくスケベだった桑田の姿を行間から垣間見ることができる。
今と違って随分と図太い神経を持った少年・青年時代を後のロックスターは過ごしたようだ。

そしてイーストウエスト'77を経てサザンはメジャーデビューしていくわけだが、
このコンテストに出るきっかけを作ったのが実は元メンバーの大森隆志。
あのとき大森がイーストウエストの申込用紙を持ってきたからこそサザンはデビューが出来たわけだ。
故に大森が脱退したときのラジオ『夜遊び』でもこのことを頻りに桑田は強調して感謝の意を述べている。

このエピソード以外にも本書ではサザンがベターデイズを経てデビューするまでの経緯が
教科書的に詳説されており、サザン史を語る上での資料価値は高い。

さて後半は主に初期~中期前半のサザンの活動についての述懐を中心に構成されている。
特筆すべきなのは『ただの歌詩じゃねえか、こんなもん』同様に攻撃的な発言が目立つことだ。
"これだけ自分は他のミュージシャンよりも才能が突出しているのに
 どうして日本の音楽界もリスナーも俺のことを理解してくれないんだ!"
という苛立ちと葛藤が随所に滲出している。

「まだまだ今はわかんねえバカが多いだけって気持、強いよね」 (p139)

ヒットチャートに入るようなガキ相手の歌謡曲なんてクソだと言わんばかりの気持ちが爆発し、
その気持ちはだんだんサザンの本格的な海外進出へと軸足が向けられていく。

「[インタビュアー:萩原健太] やっぱりアメリカで勝負したい?
 [桑田佳祐] 全部そこに行きつくんじゃないのかなあ。そうじゃない人もきっといるだろうけど、
 俺たちにとってはそれがいちばんハデだと思うし、いちばん本能的だと思うんだよね」 (p179)

ビルボードのチャートに入らないとバンドをやってる意味がないとまで言い切った当時の桑田は
このときすでにシングル『Tarako』で全英詩+海外レコーディングを敢行していた。
そのきっかけはやはりマニアの間で語り継がれるこのエピソードにヒントがあるのではないだろうか。

ある日、渡米した桑田が有名エンジニアのボブ・クリアマウンテンに
発売されたばかりの『綺麗』を試聴してもらう機会を持った。
そこでボブ・クリアマウンテンから端から勝負にならない旨の評を聞かされて桑田はショックを受ける。

「彼が言うには、『綺麗』の場合、音は一発一発クリアに録れてる、と。
 だけど、バンドのね、熱っていうか、
 そういうものをうまく拾ってないんじゃないかって言うわけ」 (p188)

『綺麗』が自信作であったが故にこれは本人にとってかなりショックな出来事であったらしく、
次作『人気者で行こう』が全編にわたって革新的でハイテンションなアルバムになっているのは
桑田流"ボブ・クリアマウンテンへのリベンジ"を如実に物語っている。
そしてアルバム発表&野外ツアー終了後にいよいよ敵陣へと乗り込んでいったわけだ。

あれから20年--

"ロックの子"は"ロックの神"へと神化し、ポップモンスターの名を恣にした。
あまりにサザンが経済的にも巨大化しすぎたため今は利害に雁字搦めにされてしまっている感があるが、
若き日の桑田にはサバイバルナイフを振り回しそうなほどの危険さと貪欲さが溢れ出ていたことを
本書は刊行から20年経った今でも後世の人々に伝えているように思う。

秋の御空に山婆かおる一冊。

ISBN 978-4-08-720380-6クワタを聴け!
中山 康樹
集英社 2007-02-21
[集英社新書 380F]

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サザンオールスターズ・桑田佳祐の全曲を5つ星で採点して、
全曲に1ページずつの批評を記したサザン初の新書本が先月刊行された。

が、あまりの内容の希薄さに大のサザンファンである私は思わず愕然としてしまった。
字数稼ぎとしか思えない見苦しい比喩や稚拙な文章表現、
さらにはインターネットで集めてきた表面的な知識(マニアなら一発でわかる)と既成事実無視の随想。
こんなノリで400ページ超の文章群を"文芸作品"として読んでいくには正直苦しいものがある。
本書は残念ながら「批評」の資格を満たしていないと言わざるを得ない。ブログレベルの「感想」だ。

サザンオールスターズを語るには大きく分けて3つの視点が必要であると私は考えている。
まず1つ目は本書でもプロローグで述べられている「和洋折衷」の概念だ。
洋楽と邦楽を本格的に融合させた初めてのアーティストが何を隠そうサザンオールスターズであり、
本書風に言うならばクワタの楽曲にはどこかしら洋楽の亡霊が憑依している。

この点に関しては私なんかよりも遙かに音楽知識のある著者だけに鋭い「感想」を書いている。
しかし本書最大の欠点はこのファクターだけで全曲解説に邁進してしまったところだ。
批評というのは多元的な見地から論理的に考察していかなければならないのが基本なのに、
どんな曲でもまず「クワタと洋楽」の関係ありきから書き綴っていくのはいかがなものか。

2つめは「日本的」な概念。歌謡曲や茅ヶ崎・湘南の存在だ。
日本人が思うほど『真夏の果実』は外国人の心にグッとこないが、
『いとしのエリー』はグローバルスタンダードだ。この違いは何だろう。
まさにこれは日本人が持つ「わび・さび」文化に関係していて、民俗学的な考察が要される。
またクワタの音楽観は歌謡曲マインドも継承していて、歌謡史とリンクさせた時代考証も必要だ。

もう一つは「商業音楽」である。要するにいかにして売れるのかという電通的考察だ。
曲が制作されてそれが流通していく過程には何かしらの社会的背景が必ず潜んでいて、
そこを解き明かしていかないと音源に隠された真の意味性というのは一向に見えてこない。

他にも「みんなのサザン」的な考察も忘れてはならない。
『愛と欲望の日々』や『DIRTY OLD MAN』なんて密室で聞いているだけでは魅力は半減である。
みんなで聞いて思い出を共有してこそ初めて曲が持つ魅力の扉を開くことができるのだ。
部屋の中で一人で音源を聞いていても音源に対しての複眼的なモノの見方は出来ない。

さらに感化できないミステイクは"事実誤認に基づくミスリード"が多すぎることだ。

「好き」「嫌い」なんていうのは個人の主観であるので、
別にどんなに醜い言葉でクワタを罵倒していただいても全く構わないのだけれども、
事実に反した史実に基づいて論理を飛躍させて批評するのは論外である。
せめて批評をするならば可能な限り文献を限りなく精査して
論理を構築していくのが文筆家としてのあるべき姿勢なのではないのか。
(余談だが本書と同コンセプトの『AKEINS DATABASE』を制作する際には
 当時のインタビュー記事をたくさん調べて、
 大先輩のファンの方に対しても実際にお会いしてヒアリングの機会をもった。)

例えば『KAMAKURA』に収録されている『Happy Birthday』という曲。
本書では洋楽のバースデーソングが原風景であるといかにも結論ありきの文章が踊っているが、
この曲に原風景なんて全くない。ただ単にジュディ・オングに言われてノリで作っただけである。
こんなのは当時のインタビューやオールナイトニッポンの資料を見れば一目瞭然であり、
調べもせず取材もせず適当に妄想して論理をつなぎ合わせて発表するのは一体どうなのか。

『DING DING』でも「ロリコンの歌」だとクワタ本人が当時のインタビューで断言しているのに、
印象だけでなぜか勝手に「ジャニーズの歌」と決めつけて
「トシちゃんやマッチが眼前をよぎって通り過ぎる」 (p220) と無理やりこじつけて、
「サザンとジャニーズの音楽に多くの共通項があることを示している」 (p220) で締めるという
無茶苦茶な論理展開がまかり通っている。

また社会的な考察に関しても深度が非常に浅いのが気がかりだ。

一例として『Computer Children』という曲を紹介した解説文に、
「コンピュータ中心生活に「ノー」を突きつける歌詞は、
 クワタが一九八五年の時点において現代の病巣としてのネット社会を
 予見していたことを示している」 (p119)

とあるが、この場合は現代的感覚で額面通りにComputer=ネット社会と受け取ってはいけない。
そもそも当時の桑田はComputerには全く興味が無く、社会的にもComputerは普及していない。
Computerとは当時流行していたファミコン以外ありえず、だから「外で遊べないComputer-Child」なのだ。
(もし仮に1985年時点でネット社会を予見していたらそれこそノーベル賞もの)

毎年同じシャケ弁当でおかずは同じだけども、佃煮だけが微妙に違う。それがサザンの魅力である。
『さくら』はカロリー過多なシャケ弁当で結果としてリスナーが痛風を起こしてしまったアルバム。
『キラーストリート』は御重に包まれたボリュームある豪華な特注シャケ御膳...

サザンオールスターズほど様々な視座から論ずることが出来るアーティストはいない。
だからこそ「洋楽」との関連性だけに魅力を押し止めた本書の編集姿勢が悔しくてならないのだ。
過度な[印象批評]に上塗りされた怒濤の全曲レビュー、あなたはどう受け止めただろうか。

ISBN 978-4-87645-368-9酒と涙と男と天ぷら 横濱好日・天吉日和
原 成男
神奈川新聞社 2005-10-10

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JR関内駅(横浜市中区)を降りてすぐのところに『天吉』という創業明治5年の老舗天ぷら屋がある。

このお店、実はサザンオールスターズ:原由子の実家であり、
サザンファンにとってはちょっとした名所となっているのだ(私も何回かお邪魔させていただいた)。
『今宵あなたに』(1978)という曲には「あなた悲しや天ぷら屋だけども~」という歌詞があったり、
天吉名物の『しじみのお味噌汁』はそのままコンサートのタイトルになったりするなど(1993年)、
サザンの世界を楽しむにあたって『天吉』は非常に重要な意味を持っている。

そんな『天吉』を切り盛りするのが原由子の実兄にあたる5代目店主:原成男だ。
本書は神奈川新聞に連載された25編のエッセイに書き下ろしのエトセトラをプラスして、
さらには天ぷらの揚げ方から原由子の寄稿に至るまでSpecialなEditionを施した一冊である。

非常に気さくな文体で、読んでいると思わず頬がゆるんでしまう。
「横浜経済研究会(通称YKK)」が姫路へ豪遊した話や親バカ的マスター*ピースな話など
心の底からほんわかとした気分になれる素敵なエッセイの数々には脱帽だ。
ご本人のお人柄や幅広い交友関係が実に良く文章に滲み出ていて、
生粋のハマっ子ということもあってか横浜の街に対する「愛」が随所に埋められているのも嬉しい。

また門外不出(!?)のおいしい天ぷらの揚げ方が本書に収録されているのもポイントだ。
恥ずかしながら私は自分で天ぷらを揚げたことがないのだけれども、
天ぷらというのはタネによって揚げ方や温度が繊細なまでに微妙に違っていて、
改めて「匠の技」の偉大さというのを痛感する。我々はもっと天丼に敬意を払わなければならない。

ラストには実妹の某ミュージシャンによる【兄の背中】という題されたあとがきも付されている。
マイペースでのんびりとしている妹の性格のルーツはやはり兄や両親の存在にあったようだ。
......この妹に、この兄あり......

読後感がとても爽やかですごく幸福な気分に浸ることが出来た。これも著者だからこそ成せる業。
老舗天ぷら屋の5代目店主の素顔が垣間見られる一冊で、横浜を愛する人たちにぜひ本書を捧げたい。

ISBN 978-4-10-135302-9ただの歌詩じゃねえか、こんなもん '84-'90
桑田 佳祐
新潮社 1990-07-25
[新潮文庫 く-8-2]

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先日ご紹介した『ただの歌詩じゃねえか、こんなもん』には実は続編がある。
その続編が本書であり、1984年から1990年までに発表された曲の「歌詩」が収載されている。
(ただし一部の楽曲と『ONE DAY』以外のKUWATA BAND名義の曲はカット)

時期的には最初で最後の監督を務めた映画『稲村ジェーン』公開直前の頃で、
シングル『真夏の果実』も発売され、桑田が"躁"期に入った時期でもある。

『稲村ジェーン』に関しては『平成NG日記』という著書があるのでここでは言及しない。
が、ここで着目すべきなのは映画をクランクアップさせてやっと公開まで漕ぎ着けたという高揚感が
妙な自信となって桑田に跳ね返ってきていて、攻撃的な発言が目立っているところだ。
本書でも当時のバンドブームや音楽評論家に対して桑田は皮肉を交えながら辛辣に批評している。

また前作では桑田自身による作品毎のセルフライナーノーツがあったのだが、
今作ではそれがなくなってインタビュー形式へと構成が完全に変わってしまった。
その上「歌詩」とはそれほど関係のないテーマでトークが展開されているため、
タイトルに冠されている割には「歌詩」にあまりスポットライトが当たっていない。

前作刊行から今作発表までの間にはいろんな出来事があった。
サザンオールスターズの長期間活動休止、KUWATA BAND結成、メリークリスマスショーの放送、
ニューヨークでのレコーディング、桑田ソロアルバム発表、10周年目のサザン復活...
目まぐるしく変わる日々をくぐり抜けてきて、考え方や心境にはやはり変化が生じたようだ。

「"たかが歌詞じゃないか"と腹くくってたつもりが、
 目にくる、ビジュアルにも影響するという現実に、
 俺はかなり遅ればせだけど気がつきましたね」 (p193)

本書刊行からすでに16年以上も経過しているにも関わらず未だに次作が刊行されないのは
上述のように桑田自身の歌詩観が大きく変化したことが一つの要因であるといえるだろう。
その考え方の変化を踏まえた上でさらに桑田は次のように自らの見解をまとめている。

「歌詞だけをひっぺがしてこうして並べてる本ってのは、いったい何になるのかな......、と。
 まして歌詞の文脈だけで何だかんだやったところでアホではありませんか。
 そんなことしながら歌を作ったところで、ロックやポップスになどなるわけないので、
 俺の場合はひたすら日本語の隠し持つフレキシビリティーを暴くには、
 サウンドの力をお借りしているわけです」 (p196)

その後、桑田の歌詩は年を追う毎に更に緻密になっていき、
今度は逆に「ミクロ至上主義」的な弊害が出てくるわけだが、
この歌詩観の変遷を今の桑田がどのように受け止めているかはファンの一人として非常に興味がある。

歌詩の本なのにインタビューと内容がリンクしておらず、分断されてしまっているのは残念でならないが、
1990年の桑田佳祐がどういったココロの状態で音楽活動をしていたかがわかる貴重な一冊。

ISBN 978-4-10-135301-2ただの歌詩じゃねえか、こんなもん
桑田 佳祐
新潮社 1984-05-25
[新潮文庫 く-8-1]

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サザンオールスターズの桑田佳祐と言えば日本を代表するミュージシャンだが、
実は音楽活動以外にも7冊の本を著している(21世紀に入ってからは刊行なし)。

そんな桑田が初めて世に出した"処女作"が今回ご紹介するこの作品。
1983年までに発表された全作品[『Reggae Man』を除く]の「歌詩」と
桑田によるトークエッセイ+貴重なカラー写真で構成された充実の一冊だ。
(残念ながら現在では絶版となっているものの入手自体はそれほど困難ではない)

長い間ファンをされておられる方ならばきっとお気付きであると思うが、
桑田の発言には一貫性というものがあまりなく、その時々の心理状態が大きく言動を左右する。
なので発言そのものを鵜呑みにしていても深い考察をすることはできない。
むしろその発言をするに至った経緯や背景を考えるほうが遥かに重要であったりする。

さて、本書の場合はタイトルに「歌詩」(歌詞でないことに注目)と付しているだけあって、
「歌詩」についての持論をかなりのページを割いて懇切丁寧にぶちまけているのが特徴的だ。

『勝手にシンドバッド』の「歌詩」を普通に読んでみれば意味不明に限りなく近く、
勢いでテキトーに作ってしまったのではないかとの疑念を一般リスナーは抱ぎがちで、
起承転結を大事にした伝統的な「歌詩」とは明らかにベクトルが別の方向を向いている。

しかし桑田ほど繊細に「歌詩」を紡いでるミュージシャンはいない。
最初はデタラメ英語でサウンドと言葉をリンクさせていき、
そしてその言葉をさらに日本語へと一般化させていくのはまさに桑田の専売特許である。

つまり「オレが作っている歌詩はそんじゃそこいらの作詞家が作るのとは違って
時代の先端を走っているんだぞ!海の向こうに目を向けているんだぞ!」
と強く主張したいがために挑発的なタイトルを冠した本書が刊行されたのではないだろうか。
(ちなみに刊行時は桑田が活動の芽を海外に向け始めた時期であり、
 この年にサザンとして初の海外レコーディングも敢行している。
 そのため大義名分として日本の音楽界に向けてメッセージを残しておく必要があった。)

当時(1984年)の桑田の諸処の発言をプレイバックしてみると総じてアグレッシブだ。
ちょうど革新的なアルバムを毎年発表していた時期だけあって、
インタビューによっては毒でしかないような刺々しい発言が際立つ。

本書でも自分の曲に対してのぶっちゃけトークがあちこちに散見される。
「『10ナンバーズ・からっと』ってアルバム、実は一番きらいなんです」 (p53)
「『ヌードマン』は退屈なアルバムなんですよ。
 (中略)いやなのも2~3曲入ってる。その部分が悔やまれる」 (p182)

現在の桑田はこれほどまで露骨に楽曲を名指しして「嫌い」だとは決して言わないので、
20代特有の"攻撃性"の威力を思わせるし、今となっては貴重な資料だ。

本書は一見すると町内会の宴会場に置いてあるカラオケ本のような体裁をとっているが、
別に「歌詩」を文脈に即して読んでほしいなんて著者自身は全く思っていない。

「読んでるだけじゃ何が何だかわかんねーだろ?だったらレコード聞けよ!
 歌詩がそんなに大事なんなら一人で勝手に朗読でもやっとけ!」
という桑田からの挑戦状こそが本書の核なのだ。
「歌詩」は裸のまま衆目に晒されているだけなのである。

もっともこの「ただの歌詩じゃねえか」という音楽観も後に180度転回することになるわけだが...

「歌詩」に懸けた桑田佳祐の熱い思いを感じ取れる一冊。

2008年4月

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