![]() | 日の砦 黒井 千次 講談社 2008-03-14 [講談社文庫 く-4-4] by G-Tools |
18時までには家に帰ると伝えたはずの同居人が19時を過ぎても帰ってこない。
いやいやまだ1時間だ。1時間程度で不安感を募らせていては自分の沽券にも関わってしまう。
2時間が過ぎた。さすがに不審に思って「今どこにいる?」との所在確認メールを送るも返事はない。
電話をしても「この電話は現在...」のアナウンスが延々と繰り返されるばかり。
ひょっとして何か予期せぬ事件に巻き込まれてしまったのだろうか。
もしくは事故に遭ってしまって今頃意識が朦朧としているのだろうか。
嫌な汗が全身から滲み出る。どうか無事であってくれ。
このまま家に帰ってこなかったら警察に捜索願を出さなければならなくなる。
そうなると厄介な雑務に追われるし、明日の仕事も行ってる場合ではなくなってしまう。
...すると突如として玄関のベルが鳴り、何食わぬ顔で同居人が帰ってきた。
「いや~、隣の奥さんと話が弾んじゃってついこんな時間に...」
安堵の表情を浮かべると同時に、今まで抱いた底知れぬ不安感が一瞬にして砕け散っていく。
人生というのは意外にこういった不安と安堵の繰り返しで組成されているのかもしれない。
このように日常的に起こる不安感と平凡な家族の葛藤を描いたのが今回ご紹介する連作短篇集だ。
主人公の高太郎は定年を迎えてセカンドライフを満喫する典型的な60代の男性で、
趣味や交友録といったものも特に持たないため、早急に生きがいを見つけなければならない。
妻の堤子との間には一男一女をもうけ、長男の夏男は結婚して家を出て行ってしまった。
残った長女の秋子と共に首都圏の郊外にてひっそりと過ごす毎日を送っている。
結婚,マイホーム,子育て...といった華やかな目標があったサラリーマン時代とは違い、
人生を揺り動かすような明確な目標を築きにくいのがセカンドライフ。
安心して老後を送るためにも家族とのふれあいをもっと密にしていきたいところだが、
仕事一筋に生きてきた高太郎にとっては家族との距離感がなかなか掴めず、
会話を交わしても旅行に行っても妻や娘と上手く噛み合うことができない。
同じことの繰り返しとなる毎日においては些細なことでも脅威と映り、
逆にどんな小さな事でも新鮮に映るという"感覚神経の鋭敏化"が起こるものだ。
例えば本書収録の『家族風呂』では家族3人での一泊二日の温泉旅が描写されているが、
物語中に登場する出来事にインパクトがあるというわけでは決してない。
全速力で走り続けるビジネスマンにとっては一時記憶もされないくらい微々たることであろうし、
そんなことに対していちいち不安や安堵といった感情を生じさせる暇もないだろう。
しかし今の高太郎にとっては目の前に勃興するプライベート空間こそが全世界なのだ。
なのでどんなに小さな出来事でもまるで自らの根幹を揺るがす事態のように受け止めてしまい、
他に思いを巡らすことがないせいか条件反射のように反応してしまう。
そして非生産的な時間だけが悪戯に過ぎていき、人生の終幕へと一歩一歩近付いていく...
このような状態を"哀愁漂う"と表現するとどうしても爺臭くなってしまいがちだが、
人生の第二コーナーを曲がった人にしかわからない特有の感覚が実に上手く表現されている。
年を重ねて老境に入るのがこんなにもせつないことだなんて私にはまだ実感として湧かない。
でもこのせつなさは私が今まで味わってきたせつなさと明らかに質感を異にしており、
黄泉の芳香を漂わせているのも"死"には抗えない人生の無情さを感じてしまう。
不安、そして安堵。その行間に潜んでいる人生のエッセンスとは一体何か。
その答えは本書を手にとって各々の価値観に照らし合わせながら確認していただければと思う。
老後の人生を襲う不安について少し覗き見してみたい人に贈る一冊。


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