BOOK REVIEW 186 辻仁成『海峡の光』

ISBN 978-4-10-136127-7海峡の光
辻 仁成
新潮社 2000-03-01
[新潮文庫 つ-17-7]

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小学校は現代人が経験する最も強固なムラコミュニティだ。
クラスメイトは近所の顔見知りで、学校外の生活でも深く関わり合っているし、
毎時間教壇に立つ教師はクラス内で絶対的な権力を握る"教祖"でもある。

それだけに子ども達は一挙一動に細心の注意を払いながら行動しなければならない。
なぜならばクラス内で自分に覆い被さる「恥」は瞬く間に親や近所へと知れ渡り、
"教祖"である教師は「恥」の総量で成績という名の"品質"を査定するからだ。

すると子ども達の間で教師の査定をいかに有利に動かすかという狡猾なインセンティブが働く。
優等生の仮面を被って聖人君子になりきることは現代の学校では高評価を得やすいし、
他の誰かを貶めることによって相対的に優位な立場へ回り込むのもベストな方策だろう。

大人の世界ならば利害や法の網によって理性にブレーキが掛かる。
だが子ども達にとってそういった大人の事情は全く意味を成さない。
彼らにとっての全世界とはクラスであり、世界地図は町内地図とイコールなのだ。
だからこそ集団の和を乱すのを恐れる余りに、時として倫理を投げ捨て暴走してしまう。

本書に登場する主人公「斎藤」の子ども時代もそういった陰湿な暴走に苦しめられた。
転校してきた優等生である「花井」はクラス内の自分の地位を確保するために、
ターゲットを斎藤に絞ってクラスメイトの心理を巧みに利用しながら冷酷にいじめていく。
決して自分で手を下さずに間接的に制裁を加えていくのが実に優等生らしいいじめ方であり、
クラス内で模擬裁判を開いて精神的に追い込み、斎藤の人間性を崩壊させたこともあった。

また斎藤以外のクラスメイトには花井の好感度が非常に高く、
クラスを統括する担任教師も何の問題のない優等生として花井に太鼓判を押していたが、
いくら周囲の評価が高かろうが斎藤だけは本当の花井の姿を見抜いていた。
野良猫を餓死させようとし、倒れた老婆を見殺しにし、
世間の眼が届かないところでは暴虐の人間性を顕わにしていた虚構の優等生である花井を...

そういった生々しい傷は大人になっても癒されることがなく、むしろ傷口は深まるばかりだった。
まるで全知全能の神をも超越する存在として花井は常に斎藤の脳細胞の中に君臨し、
ふとしたことでトラウマとして現れて、重苦の荒波へと自分を陥れていく。

やがて立派な社会人として成長した斎藤は青函連絡船の客室係の職に就くことになる。
が、青函トンネルが開通する影響で青函連絡船の未来にも翳りがちらつき始め、
それを見越した斎藤は将来を憂いて職を辞し、今度は函館で刑務官の職を得た。

そこで出会った囚人がかつて斎藤を苦しめ続けた花井だったのだ。
あの頃と同じように刑務官たちに対しても優等生を演じ続ける花井。
しかし今の自分は昔と違って花井を掌握できる立場にいる。
思う存分に権力を振り翳すこともできるし、気の向くままに屈服させることだって容易だ。

それでも斎藤はトラウマの代償として花井という人間を蹂躙することはできなかった。
逆に花井の存在が日に日に大きくなっていくことが実感され、
十数年の時が経とうとしているのに斎藤は花井の存在に脅威を感じていたのだ。

「私は彼のまるで詩でも朗々と読み上げるような口ぶりから、
 自分が過去に苦しんだ日々の記憶を思い出してはそっと奥歯を噛み締めた」 (p107)

まるで独房にいる花井が刑務官で、自由が保障されている自分こそが囚人...
そんな逆転した関係性は斎藤を苦しめ続けた"闇"そのものであり、
斎藤の人生を捕らえ続けた暗部が生々しく照射されている。

暗闇に佇むとどんなに微細な光でも視認することは出来るが、
光で包まれた世界にどれだけ光が自己主張をしてもその光がどこにあるのかまではわからない。
タイトルの『海峡の光』に込められた意味が最後まで読むと自然と明らかになってくるが、
その意味を知った瞬間、私は身震いを止めることができなかった。

それほどプロットが練りに練られていて、純文学の真髄が味わえる名作と言えるだろう。
純度の高い文章と共に二人の間に底流する体温をぜひみなさんにも感じとっていただきたい。
漆黒の闇がどこまでも終わることなく人生を支配していく条理に無情さを抱きつつ。

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