![]() | 青春をどう生きるか いまやらなくて、いつやれる 加藤 諦三 光文社 1981-11-05 [カッパ・ブックス 2-40] by G-Tools |
いくつになっても考え込んでしまう癖が直らない自分には辟易させられる。
遊んでいても食事をしていても常に何か別なことを考えていて、
まるで頭の中にCPUが2スロット埋め込まれてしまったかのような錯覚を常に抱きがちだ。
どうして私はそこまで無駄に物事を考えてしまうのだろうか。
それは私の人生において"師"となる人間が一人もおらず、
常に自分自身がレールを引いていかないと社会的生存が困難になってしまうからではないか。
私にとって「考える」という知的行為は"生"へと直に繋がってゆくのである。
すべての出発点は高校の退学届を出した瞬間からだ。
その時に私の担任(といっても短い付き合いだったが)であった高校教師は
社会の荒波に飛び立っていく私に対してこのような餞の言葉を贈ってくださった。
「天王寺から梅田へ行くには地下鉄が一番近くて早いけど、景色は何にも見えへん。
それに対して環状線で行ったら遠回りになってしまうけど、景色がたくさん見える。
だから遠回りすることもええんちゃうかな。よく考えて自分自身で未来を切り開いてね。」
こうして私は人生を何周も遠回りすることになっていくわけだが、
肝心の道しるべが全くなく、山道で一人っきりになったような孤独も同時に背負うことになる。
誰一人として頼るべき人がいないからには、自分で道を切り開いていかなければならない。
だから私はいろんな本を読んで、会う人間のすべてを洞察して、ひたすら考察を繰り返した。
『青春をどう生きるか』という永遠の命題についてもエンドレスに悩んだものだ。
そんな頃に出会った本が今回ご紹介するこの一冊だ。
以前紹介したBOOK REVIEW 87 加藤諦三『大学で何を学ぶか』の姉妹本ということから
本書のページを捲ってみたのが、確か17歳の頃だったように思う。
著者が体験した数々のエピソードと共に人生の教訓などが綴られていて、
今読むと「なんて説教臭い本なのだろうか」という思いを抱いてしまうのだけれども、
人生の先輩からの助言を活字という媒体を通して渇望していた当時の自分にとっては
大変有意義な書物であり、心に深く刻まれた一冊であった。
「まず一歩を踏み出すのである。
そして、第二歩は、第一歩を踏み出してから考えればいい」 (p41)
考えてばかりいて行動に移すことがあまりなかった自分にとって、
この言葉が意味する真理はストレートに私の心へ響き、耳が痛んだものだ。
どんなに崇高な考えを心の中に構築したとしても、
行動を伴わなければ現実的に全く意味を成さないわけであり、
行動から逃避するために考察に甘んじていると捉えられてもおかしくはない。
さて本書で印象に残ったもう一つの言葉はこれだ。
「敗れることは、けっして惨めではないと、ぼくは思う。
惨めなのは、精魂の限りを尽くして敗れたのではなく、
なんの努力もしないままに敗れることなのだ」 (p92)
でも人生経験を積み重ねるに連れて、敗れることは惨めなのじゃないかとも思えてきた。
幸いにもまだこの世に必要な人間と判断されたのか私の病気は寛解状態を保っているが、
検査結果がいつ暴発するかは誰にもわからない。少なくとも今は暴発する確率が有意にある。
正直、毎回の検査結果の増減には今でも心臓が縮こまる思いを抱いてしまうし、
微妙な結果が出る度に飼い殺しにされている気分に陥ってしまう。
ケセラセラで笑い飛ばせない自分自身も辛い。考え込んでしまう"性"を呪いたくもなる。
それでも普段は起死回生を賭けた人生の目標に向けて邁進していく日々を送っているのだが、
突然また病気になってしまったことを考えてしまうと、立ち位置を考えさせられてしまう。
最強の治療をしたにも関わらず病気が再燃したら、その時点で私は予後不良だ。
もう草木が靡いて人間たちが蠢くこの世界に帰ってくることはできない。
これだけ頑張って、ようやく社会復帰にまで漕ぎ着けて、
それでも生きることができないとしたら、それは綺麗事を抜きにして惨めなだけではないか。
第三者がどれだけ美しく形容しようとも、若くしてこれ以上生きれないという厳然たる現実は
屈辱そのものでしかないのではないかと数多の人々の転帰に直面して思うようになってきた。
ならば限界まで抗がん剤治療に挑んで、管に繋がれたまま天に舞うよりも、
潔く諦めて、努力せず楽しむことに一点集中したほうがまだ惨めさを回避できなくはないか。
だとしたら私が是としてきた「考え込む」行為は一体何のために存在したのか。
考えないほうが上手くいくならば、思考は人間が生み出した虚構の産物に過ぎないのか?
...死と隣り合わせに生き続けて、もうすぐ2年半になる。
10代の頃に思い描いていた『青春をどう生きるか』のビジョンは完膚無きまで崩れ去り、
新しい人生目標を前提とした『青春をどう生きるか』のビジョンが秒単位で着々と進みつつある。
生きるしかないのだ。とにかく生きろ。生きるんだ、生きまくってやるんだ。
そして老境に入ったときに『青春をどう生きたか』を述懐すれば良いではないか。
青春の折り返しに差し掛かった今、改めてこの本をここに捧げたい。


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