BOOK REVIEW 176 池澤夏樹『やがてヒトに与えられた時が満ちて......』

ISBN 978-4-04-382001-6やがてヒトに与えられた時が満ちて......
池澤 夏樹/著  普後 均/写真
角川書店 2007-11-25
[角川文庫 い-58-2]

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雲一つない晴天の日は空を見上げているだけで清々しい気持ちになる。
子どもの頃は際限なく続く空の先に一体何があるのだろうとよく思索を重ねたものだ。

が、考えれば考えるほど自分というタンパク質で構成された物体は
そもそも何者なのかという根源的な問いにぶち当たってしまう。
それに宇宙は一体どのようにして出来たのだろうかと考えても一向に答えが出ず、
むしろ私の頭はますます平衡感覚を欠き混乱の極地に達してしまった。

実質的に世界の権力を掌握するブッシュや世界の破壊者であるビンラディンも
宇宙の動向を直接的にコントロールすることはさすがに出来ない。
つまり人類にとって宇宙はまだまだ未知なる空間であると同時に、
豊饒の可能性を秘めた聖なる次元でもあるわけだ。

それ故に宇宙は一般庶民にとってまだまだ身近な存在ではない。
ただ、宇宙と全く縁がないかと言われればそうでもなく、
カネさえ積めば宇宙旅行を催行することは現実として可能だ(c.f. JTB 宇宙旅行)。

このサイトによると月旅行は日本円にして約120億円かかるので
「お金儲け、悪いことですか??」と開き直らない限り実現性は乏しいが、
大気圏を飛び出して少しの間宇宙を体験する宇宙体験飛行ならば
約1200万円なので、これだと手が届く範囲内にあるかもしれない。

もっともあと数百年もすれば数万円で宇宙へ行ける時代になることであろう。
さらに数千年もすれば環境を破壊し尽くされた地球に別れを告げ、
どこかの惑星に植民していてもおかしくはないのではないだろうか。

今回ご紹介するこの本はラグランジュ植民都市という宇宙空間が舞台のSF小説だ。
戦争や環境破壊が進み、少子化も乗じて、ある日地球に深刻な危機が生じた。
やがて地球は人類が住めない惑星となって人々は植民都市へと移住し、
地球との交信もだんだん途絶え、完全に隔絶された植民都市が形成されていく。

この植民都市ではCPUネットワークがあらゆる事象を管理している。
食物は自動的に作られ、身体に変化が生じたら自動的に救急車が呼ばれ、
仕事をする必要もないどころか仕事という概念がそもそもない。
争いごとが生じないので欲に支配されることもなく、
ここでは人類が夢見た恒久平和をある意味体現しているといえるだろう。

何も考えずとも現状を維持するだけで自分の存在が満たされるのだから、
CPUネットワークへ反乱してやろうなどという野暮なイデオロギーは生まれようがなく、
自ずと人々の「思い」は消え、人間はプラグで繋がれているロボットと等価な存在と化す。

「ここに住む以上、現状というものを尊重して、
 それにいかなる形の疑問も投げるようなことはしないで、
 日々の充足の中に生きてゆくのがいい」 (p90-91)

ただ、一つだけ厳格に禁じられている行為があった。地球時代への追憶だ。
そもそもこの植民都市は過去の記憶を一切合切消去した上で成り立っているわけであり、
追憶することは植民都市建設の理念の根幹を揺るがすことにもなりかねない。

しかし主人公はあることをきっかけにしてパンドラの箱を開けようとし、
植民都市がどういった理念の下で設計されたかについて核心に迫ろうとした。
あらゆる「思い」が存在したとされる地球時代の人間は一体どのような日々を送っていたのか。
そして研究を進めていくうちに主人公に待ち受けていた真実とは...

一言で言えば強烈なアイロニーを内包した作品だ。
欲望や宗教,思想によって複雑に入り乱れている現代社会は争いごとが絶えない。
国家レベルでは戦争,民族レベルでは紛争,庶民レベルでは裁判...
ならばあらゆる欲望をすべて捨て去ってしまえば良いではないか。
もっと言えば喜怒哀楽の感情も捨て去れば、揉め事が起こらず平和になるのではないか。

そうなると今度は別の問題が現出してくることを本書は示唆している。
この植民都市に出てくる住人たちは例外なく生気がない。
何のために生きているのかがわからず、ただ心臓を動かしているだけの日々。
欲望は時に暴力と化して人間を敵襲するが、
だからといって欲望を封じ込めてしまったら人間の存在意義が削がれてしまう。
その典型例がラグランジュ植民都市の住人たちだ。

地球の未来に本書のような世界が待っていると思うと心苦しい。
となると揉め事が少しあるほうが健全な世界である証左だと言えてしまうのか!?
その是非は実際に読んでからあなた自身によって判断していただきたい。

本書には表題の他にSF小篇である『星空とメランコリア』も収録されている。
世界観はどちらも共通なので、読み比べてみるのもおもしろいかもしれない。

近未来を体験したいあなたに贈る一冊。

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