![]() | この国の未来へ―持続可能で「豊か」な社会 佐和 隆光 筑摩書房 2007-02-10 [ちくま新書 641] by G-Tools |
先日、内閣府は今年の7-9月期のGDP速報値がプラス2.6%(年率換算)であることを発表した。
原油価格が高騰し、サブプライムローンの余波が日本を直撃しているにも関わらず、
そんな危機とは裏腹に数値は堅調な動きを示していて、財界はさぞかし喜んでいることだろう。
しかしGDP(国内総生産)は数ある経済指標のうちの一つにすぎないはずだ。
日本ではGDPだけが別格の扱いを受けているが(一面トップニュースにもなる)、
GDPがプラス成長だからといってそれが豊かさの証になるとは必ずしも限らない。
例えば年間5~6%の経済成長を記録した20年前のいわゆる「バブル経済」の時期は、
人々が空前の好況に沸いていた裏で自殺者も過去最高(当時)を記録している。
また江戸時代は今よりも遥かに経済規模が小さくて経済成長もほとんどなく、
庶民もホリエモンに程遠い質実剛健な生活を強いられていたわけだが、
それでも幸福に暮らしていたし、社会は今よりも安定していた。
どうやら人々が実感する「豊かさ」とは経済規模とイコールではなさそうだ。
ならば「豊かさ」とは一体何なのだろう。本当に日本は豊かな社会へと向かっているのだろうか。
本書はそんな「豊かさ」の意味をあらゆる観点から紐解いた一冊である。
主に教育・構造改革・環境といったエレメントから「豊かさ」の源流を探り当てており、
全体を貫くテーマには「持続可能な開発(sustainable development)」が据えられている。
「豊かさ」と聞いて真っ先に思い浮かぶのが経済成長ということなのか
ある日突然職を放り投げたのも記憶に新しい某A氏は
事あるごとに選挙カーの上で「成長を実感に!」と絶叫していた。
が、成長さえすれば一事が万事それですべて解決するといった考えは時代錯誤も甚だしい。
これでは真面目に生活すれば必ず貧困がなくなるとして国家が全国民を教導した
戦前の「感化救済事業」と全く同じ発想ではないか。
そもそも経済成長の時代はもう終わりを告げているはずだ。
「二十世紀の科学技術は、経済発展・成長に寄与することを、その主たる役割と心得てきた。
しかし、二十一世紀の科学技術は「持続可能な開発」に資することを、
その主たる役割と心得なければならない」 (p144)
石油のコストが安く、早急に整えなければならないインフラが山ほどあり、
欧米に追いつけ追い越せムードを国民全体が共有していた古き良き高度経済成長期。
まさに今の中国が日本の後を追いかけるように高度成長を謳歌しているわけだが、
その影で資源エネルギーの枯渇と環境破壊が想像を絶する以上に深刻化しており、
仮に農村部にまで経済成長の波が押し寄せれば確実に地球はパンクしてしまう。
このように21世紀は経済成長すれば良いという時代ではないのである。
悲鳴を上げている地球へ真摯に耳を傾け、環境を軸とした産業構造の転換を図り、
一人一人がいかに環境と共生しながら経済を持続させていくか--ここが問われているのだ。
そのためには企業戦士養成のための修練機関と化した教育をまずは変えなければならない。
このままでは旧来型の価値観が幅を利かし、21世紀に対応した国作りが出来なくなってしまう。
著者はポスト工業化社会を担う人材を輩出するためには抜本的な教育改革が不可避であり、
経済システムの思い切ったパラダイムシフトが必要であることを本書の随所で提言している。
「日本が「豊かな社会」になるためには、QOLの改善と知的水準の向上を図りつつ、
環境制約を打ち破るイノベーションに成功することが必要にして不可欠である」 (p174)
一見ネガティブな要素である「環境制約」は実は21世紀型経済成長の起爆剤と化すのだが、
このことに関しては本書後半で詳しく述べられているのでそちらを参照されたい。
他にも環境問題を巡る一通りの争点についても本書に記載されている。
今、一番かっこいい人はヒルズに生息する錬金術師ではない。
どれだけ環境に優しい生活を出来るかが「かっこよさ」のバロメータなのだ。
さらに幸福な生活が出来るかもバロメータの一つに付け加えることができるだろう。
「「幸福」の源泉は、「参加」の意識、コミットメント(使命感)、シンパシー(他人の思いやり)」 (p68)
日本を「豊か」で「持続可能」で「幸福」な社会へするために…この本を捧げたい。


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