![]() | 介護入門 モブ・ノリオ 文藝春秋 2007-09-10 [文春文庫 も-21-1] by G-Tools |
療養病床に入院している祖父が今年で卒寿を迎えた。
そんな祖父を見舞うために私は年に何回か田舎へ赴くのだが、
病院のドアを開けるといつも”加齢の無情さ”について不愍な思いに駆られてしまう。
祖父の病室へ行くまでに特浴室という聞き慣れない部屋がある。
そこは自らの身体コントロールすらも失った老翁老媼が
介護ヘルパーの力を借りて入浴させられる通称”機械浴”の場だ。
その部屋を取り囲むように多くの老人達が口を開けたまま車椅子に座っている。
修学旅行のお風呂タイムに放たれるような溢れんばかりの覇気はここには全くない。
「おじいちゃん、具合どうですかぁ?」と童子に囁くようにヘルパーは大声で語りかける。
しかしおじいちゃんからは何の反応もない。だがおじいちゃんの心臓は確かに鼓動を刻み続けている。
入浴可否の個人意思を蹂躙したヘルパーはおじいちゃんを洗滌の海へと強制連行していった…
特浴はかなりの重労働だ。いくら仕事と割り切ってもそう簡単に出来るものではない。
赤の他人の排泄物にまみれながら、時には罵声を浴びせ掛けられ、
休む暇もなく何十人の身体を洗い続けておまけに薄給ときたらこの職の離職率が高いのも頷ける。
じゃあプロでもない近親者が自宅で介護をしたら一体どうなってしまうのだろう。
YO、朋輩{ニガー}?
29歳、無職、ニート、独身、金髪、薬物常習者…
そんな「俺」が寝たきりのおばあちゃんを自宅で介護する様子を描出したのがこの作品だ。
昔、ある政治家が「家族で面倒を見るのが日本人の美徳」などと言って
精神論だけで「介護保険の抜本的見直し」を唱えたことがあるが、
実際の現場は血縁関係だけに問題を帰せるほど単純ではないし、
老老介護や介護疲れの親殺しなどの副作用についてはこれまでにも文学で幾度となく扱われてきた。
この作品の主人公は介護を最も忌避しそうなタイプであるはずなのに、
誰よりも真摯に介護と向き合っておばあちゃんを愛している。彼にとって介護はもはや生きがいだ。
マスコミがこの主人公を取材したらきっとお涙ちょうだいの美談に仕立て上げていくに違いない。
だけどね、fuck!そんなことをこの小説は言ってんじゃないんだよ、朋輩{ニガー}。
むしろそんな偽善めいた現代の風潮を徹底的に拒否し(文体すらも拒否に同調)、
介護の真実を炙り出そうとしているのが本作品の真髄なのだ。
マリファナを吸いながら廃人化していく自分。でも祖母を介護することによって初めて立ち位置が定まる。
血が繋がっているから半ば義務的に介護をやらされているわけではない。
動機はカネでもなく名誉でもなく、ただ「祖母を介護したい」からであり、
そこにあるのは純粋に”人間”が”人間”を介護するという現代の介護が置き去りにしている姿であった。
プロであるはずの介護ヘルパーはロクな仕事を果たそうとしない。
たまにしか来ずに近親者に介護を丸投げして適当な言葉を我が物顔で言い散らす親類。
こいつら何が偉いんだ。こんなヤツらがいるから介護に光がやってこないんだろ、朋輩{ニガー}?
そんな憎むべき偽善の穀倉に対して著者は罵詈讒謗の限りを尽くす。
「その腹には、こんな身体のまま生きるのなら死んだほうが楽だろうに、
という傍観者ゆえのお気楽な諦めが宿便の如く詰まっていた」 (p86)
全体的にかなり毒っ気たっぷりで文章がラップのように踊っている。
それもポップで今にも立体的に文字が浮かび上がってきそうな踊り方ではなく、
お互いの文字が数秒後に化学反応してしまいそうなほどの一触即発なダンスなのだ。
そんな独特の文体を楽しみながら、介護問題について偽善を排しながら真剣に考えて欲しい。
そして著者が鮮烈な文体に刷り込んだ”介護をする意味”を全身で感じて欲しい。
なおこの文庫本にはタイトル作の他に短編二作(『市町村合併協議会』『既知との遭遇』)が収録されている。
そちらもモブ・ノリオワールドが全開なのでデザートとしてぜひご賞味あれ。
新境地な一冊。


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