![]() | 王様は裸だと言った子供はその後どうなったか 森 達也 集英社 2007-08-22 [集英社新書 405B] by G-Tools |
服を着ていると思い込んでいる王様が裸のまま颯爽と街を歩いていた。
「あれ?王様が小島よしおになってるじゃん!!」
人々は心の中でそう思いつつもこの事実を王様に進言しようとする者は誰もいない。
裸であることを指摘することによって王様に恥を塗ってしまったら、
"権力"という名の魔物に完膚無きまで寸裂されるのは他の誰でもない自分だからだ。
だからこそ人々は裸である事実を胸中から払拭するように過剰に王様を持ち上げ、
持ち上げられた王様はますます有頂天になって事実を知らぬままに暴走を始める。
しかしたった一人だけ空気が読めずに事実を王様に言上してしまった。
その犯人は大人社会の汚れたバランスゲームを知らない純真無垢な子どもだ。
「ねーねー王様、裸なんだけど恥ずかしくないの??」
...これがアンデルセンの童話『裸の王様』の有名なあらすじである。
実際にこの物語を幼少期に読まれた方もたくさんおられることだろう。
しかし『王様は裸だと言った子供はその後どうなったか』までは原作に書かれていない。
「へたこいた~」と言いながら王様が突然踊り出して無罪放免となるのか、
それとも即座に五右衛門風呂に入れられて恐怖政治が始まっていくのか。
本書は有名な文学作品(主に童話)を現代風の味付けでシニカルに解釈し直し、
複雑に入り込んだ現代社会に鋭いメスを入れる(©ABC)画期的な一冊である。
コンセプト的には太宰治の作品集である『お伽草紙』に近い。
『お伽草紙』では太宰自身の内省的解釈が極端に目立っていたが、
今回の『王様は裸だと~』では著者がジャーナリストであるせいか、
風刺の矛先が主に社会的な由々しき事象に向けられているのが痛快だ。
『桃太郎』はメディア・スクラム、『瓜子姫』は空気を過度に要求する社会、
『ふるやのもり』が先制攻撃論の矛盾、『ねこのすず』が戦争と恐怖国家...
どの物語にも斜め45度の角度から透徹する著者特有のリアリズムが何とも言えぬ味を出している。
さて私は冒頭の『裸の王様』を読みながらある国の王様について考えを巡らせていた。
その王様は苦労を知らないお坊ちゃまで、王様になるや否やお友達ばかりを部下に従えた。
「王様だから偉いのだろう」と思った国民は最初こそ王様を熱烈に支持していた(らしい)が、
だんだん王様の化けの皮がはがれていき、やがて国民は王政にはっきりとNOを突き付ける。
しかし王様はどこまでも"裸の王様"だった。NOの意味がわからず周囲に耳を貸すこともない。
ついには自暴自棄になり職を放り投げたまま無責任に雲隠れしてしまった...
著者ならばこの王様をどのように評すだろうか。そしてどんな物語を作るだろう。
この王様は政策云々以前に"能力"が決定的に不足していた。
能力不相応なまま王位に居続けることは王様本人にとっても不幸なことであるし、
そんな王様に権力を振り翳されては国民もたまったものではない。
だからこそこの王様を裸にさせた人々の罪は重い。
そして王様はどうして自分がこれほどまでに国民に嫌われたのかの理由を直視すべきだ。
逃げ続けていては何も答えが見えてこないではないか。
ん?王様は裸だと言った国民はその後どうなったか??そこまでは私も知らない。
ただこの話の続きが今後テレビで放映されていくということだけはここに記しておこう。
斜めを向いているあなたに読んで欲しい一冊。


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