![]() | 京都 影の権力者たち 読売新聞京都総局 講談社 2004-05-20 [講談社+α文庫 G 104-1] by G-Tools |
京都市と言えば世界に冠たる観光都市というブランドイメージを確立しているが、
そんな京都市が今月1日より新しい景観条例をスタートさせた。
屋外広告をほぼ全面的に禁止にして只でさえ厳しい建造物の高さ規制に更に制限を加えるという
京都だからこそ制定できた全国でも類を見ないスペシャルな条例だ。
魅力ある都市を形成するためには単に利便性の観点から施策を講じても限界がある。
大文字の送り火が高層ビルで遮られたり、ギラギラのネオンが祇園の街をチラつかせたりしていては
京の街が醸成する伝統的な風景も台無しとなり、徒爾な乱開発との烙印をも押されかねない。
情緒溢れる京都の景観を守るためにも、新しい景観条例は必要不可欠だ。
この新しい景観条例を巡っては不動産業界や広告業界の内部から激しい反発が起こったが、
結局は市側が一切の妥協をすることなく制定・施行に踏み切ることができた。
その背景には京都の"影の権力"であり、本書の第一章でも詳説されている"高僧"の存在がある。
かつて京都市は観光寺院に古都税を課そうと試みたことがあったものの、
拝観停止に代表される仏教界の猛烈な反対に遭って断念せざるを得なかった。
京都の有力寺院の財政規模は数百億レベルを優に超えており、
寺院内に"国会"があるなど官僚機構に比する組織をも抱えている。
まさにもう一つの自治体が市内にあるようなものであり、
公権力といえどもそう簡単に彼らに刃向かうことはできないのだ。
京都には教科書に載っていない影の権力者たちが蠢いている---
本書は京都を影で動かしている権力者たちにスポットを当て、その権力の源泉に迫るルポタージュだ。
いずれの権力も京都的な力学を介さないと説明がつかないほど構造が巧妙で、
マスコミにも正面からあまり取り上げられないだけに非常に興味深い。
続く第二章で取り上げられているのは"家元"だ。
今はカルチャーセンターでも気軽に茶の湯を楽しめる時代となってきたが、たかが茶の湯と侮るなかれ。
時の権力者が我先にと駆け込んでいく場が茶室であり、家元は中央政界に太いパイプを持っているのだ。
なぜこれだけの権威を家元は持つことが出来たのか。その答えが本章に隠されている。
第三章の"花街衆"で綴られているのは祇園の街を彩る「舞妓はん」や「お茶屋」だ。
四条通を歩いていて鴨川を越えると雰囲気が明らかに違ってくることがわかるが、
たとえ私がどんなに金持ちであろうとも、その禁断のゾーンに入ることはまず許されない。
束になったピン札をちらつかせても「一見はんはお断りどす」と女将に拒否されるのがオチだ。
しかしそれは決して"いけず"な思いからきているのではなく、それなりの理由が隠されていた。
第四章は"御所はん"。御所を取り囲む京都御苑は憩いの場としても市民に広く親しまれており、
私もよく自転車を走らせて自然豊かな御苑へ赴くのだが、そこにはもう天皇はいない。
天皇が東京へ行幸してから実に約140年もの年月が流れた。
が、それまでの約1100年間は京都に身を置いていたわけであり、
京の街には現在も天皇家と古くから繋がりのあるお店や人物が各所に点在している。
第五章の"室町の商人"もその例外ではなく、彼らもまた独特の権威を数百年間で培ってきた。
最後の章で取り上げられているのは"共産党"だ。
意外なことに京都はかつて共産党の牙城とも呼ばれ、28年もの革新府政が続いていた。
現在は勢いこそ落ちたものの、それでも他府県に比べて共産党は強い。
しかし共産党が 「京都の、もっとも京都らしいところから産声を上げた」 (p274) ことはあまり知られていない。
保守的な伝統産業からなぜ共産党が産声を上げ、市民に受け入れられていったのか。
...ドロドロの京都事情をここまで読めば「そうだ 京都へ行こう」なんて思わないかもしれない。
だが世にも不思議な定理で政[まつりごと]が動いている京都は大阪とは違ったダイナミズムがある。
真の京都通になるならば、影の権力者についての理解を深めることは避けて通れない。
京都の知られざる真実をあなたへ。


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