BOOK REVIEW 148 村上春樹『風の歌を聴け』

ISBN 978-4-06-274870-4風の歌を聴け
村上 春樹
講談社 2004-09-15
[講談社文庫 む-6-22]

by G-Tools


とうとう夏が終わってしまった。

憎々しいほどに身体を照射していった灼熱の光線。
潮の香りを全身で感じながら肌を重ね合った火点し頃。
海岸に鳴り響く歓呼の声と共に空に舞い散っていった花火...

季節が秋に近付くにつれて僕たちの夏はどんどん遠ざかっていく。
だいじょうぶ、また季節が一巡りすれば新しい夏はやってくるさ。
だけどもね、今年過ごした夏はもう一生戻らない。それが銀河系の法則。

花火をしていても子どもの頃に感じたそれとは明らかに異質なことに僕たちは気付いている。
でもそれを正面から認めるのは僕たちにとってあまりにも恐ろしいことであり、
記憶の中で氷結された夏を解凍しながら何とか夏を永らえているのが現実だ。

「あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。
 僕たちはそんな風にして生きている」 (p152-153)

神戸に帰省していた大学生の「僕」が友人の「鼠」とバーで飲んでいるシーンから物語は始まる。
ある夜、バーで小指のない女の子と偶然出会い、「僕」は彼女を介抱した。
そんな突然の出逢いから始まった二人も最初はギクシャクしていたがやがては親しき仲へと進展していく。
後日、彼女は旅に出て行った。が、聞くところによると旅に出たのは嘘だったらしい。
一方「鼠」は身体の調子を悪くして大学を退学し、小説書きとして生きていくことになった。
彼女が嘘をついた理由が明らかになり、「鼠」の真の気持ちを酌み取ったときには夏が終わっていた...

...ストーリー自体はどこにでもあるような夏の風景を機械的に切り取っただけの平凡なものであり、
これといった起伏もなく進行していくので、読み心地は良いもののそれは単に表層的なものに過ぎない。
が、この小説の何よりも優れている点はミクロなファクターを逐一メタ化していくことによって、
マクロとしての文体のリズムが流動的な時間軸を上手く表現しているところである。

感傷的に描写してしまうと現在と過去の連続性がなくなってしまいパートごとに時間は断絶されてしまう。
諄いように情景描写を重ねてもストーリーという動脈が血栓を起こしてしまう。

「夏の香りを感じたのは久しぶりだった。《中略》
 しかしそれはまるでずれてしまったトレーシング・ペーパーのように、
 何もかもが少しずつ、しかしとり返しのつかぬくらいに昔とは違っていた」 (p140)

物語をずっと読んできてこの文章がやけに印象に残るのは
計算され尽くされた文体のリズムが各々のシーンの「個」を抑制して、
その結果「時間の風」という概念を産出し、読者へ総体として提示するのに成功しているからだ。

5年前に泳いだ海と3年前に泳いだ海は質的にも感覚的にも異なるものである。
それを科学的に証明するならば膨大かつ仔細な実験を要し、多大な言葉が必要となる。
しかし文学的に証明しようとするならばいかに"感覚的"に違いを感じさせるかが決め手となる。
『風の歌を聴け』はそういったことを上手く証明している点で非常に完成度が高い。

さてこの作品は村上春樹のデビュー作としても知られている。
処女作には作家のエッセンスが最も込められているともよく言われるが、
この作品の場合は書き出しから村上春樹たる宣言が成されていることに着目したい。

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」 (p7)

"文章"と"絶望"を並列させているところがおもしろい。
物語を読み終えてもう一度最初から読み返してみると、
この書き出しに「やられた」と思わず感じてニヤけてしまう。
それこそが小説の醍醐味なのではないだろうか。

夏の終わりの今だからこそ読みたい一冊。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: BOOK REVIEW 148 村上春樹『風の歌を聴け』

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.akeins.com/books/mt-tb.cgi/169

コメントする

2008年6月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近のブログ記事

最近のコメント

Creative Commons License
このブログのライセンスは クリエイティブ・コモンズライセンス.
Powered by Movable Type