BOOK REVIEW 140 遠藤周作『海と毒薬』

ISBN 978-4-04-124525-5海と毒薬
遠藤 周作
角川書店 1960-07-30(改:2004-06-25)
[角川文庫 え-2-1]

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認知科学の「状況論」について説明するとき、一つの興味深い実験がよく例示される。
いわゆる「スタンフォード監獄実験」についてだ。

学生を看守役と囚人役にランダムに振り分け、大学の地下室の模擬刑務所で各々の役を数日間演じてもらう。
すると次第に囚人役の学生が極端なまでの情緒不安定に陥り、
看守役の学生は権威を盾に非道なまでの残忍な行為を繰り返すようになったのだ。

別に看守役の学生が生来的に残忍さを有していたわけではない。
が、服従関係が絶対的である特殊な環境が彼らの中に潜む暴力性を誘発して人格を豹変させた。

この実験から個人の資質よりも周辺環境という「状況」が人間性を形成するという一つの仮説が成り立つ。
第二次世界大戦で旧日本軍が信じられないくらいの残忍な殺戮を各地で行ったが、
これは殺人が合法となる特殊状況下でいかに人間が変貌するかという好例だろう。
旧日本軍の兵士たちがもともと凶悪というわけではなく、戦争が彼らの人間性をも暴走させた...

そう考えていくと人間はなんと怖い存在なのだろう。誰しもがそうなる可能性があると思うともっと怖い。
今回ご紹介する本書は戦争という極限状況の下で行われた生体解剖実験を描いた作品で、
その実験に携わった人々の交錯する人間模様や人間の罪悪意識の本質に迫った名作だ。

人間を生きたまま解剖して、取り出した臓器を食用として軍人の打ち上げ会に献上する---
平常時ならばまさに常軌を逸しているとしか思えないこの残虐極まりない行為も、
ある種のトランス状態に置かれている戦時下においては至当な行為と化すから不思議なものだ。
それは登場人物が発した投げやりな言葉にもそのヒントを探ることが出来る。

「何をしたって同じことやからなあ。みんな死んでいく時代なんや」 (p75)

生体実験の対象となったのは捕虜となった米兵であるわけだが、
実験しなくたって彼らは政治的に死する運命にあるのである。
さらに栄養が極度に不足している社会的な状況下では孰れ死にゆくことは免れないし、
明日空襲で死ぬことだって充分にあり得る。何をやったって、どう足掻いたって、どうせ死んでしまうのだ。

ならば生体実験をしたほうが戦争医学に貢献するだけマシではないか。
曲がりなりにも合致する論理を武器に、医局員達は悲鳴を上げるわけでもなく淡々とメスを入れていく。

そんな彼らには常人として持っていて然るべき血や涙を持ち合わせていないのかもしれない。
しかし人間としての感情を完全に失ってしまったわけではない。

そもそも生体実験を行った背景には医局同士での権力ポスト抗争や
いかに軍部を味方に囲い込むかといった高度に政治的なやり取りがあり、
そこで彼ら医局員達は"人間らしい"振る舞いを遺憾なく発揮するのである。
なので決して人間存在するための最低ラインを越えてしまったわけではない。

主人公の一人である研究生:戸田は実験を終えてこう述懐している。

「やがて罰せられる日が来ても、彼等の恐怖は世間や社会の罰にたいしてだけだ。
 自分の良心にたいしてだけではないのだ」 (p135)

戦争で良心の呵責は麻痺してしまったが、"恥"意識だけは喪失していないところが実におもしろい。
実験に関わった医局員達が口裏を合わせて事実を隠蔽しようとしていたのも、
人間としての良心に依拠した行為ではなく、自らが訴追されることを恐れた"恥"意識に依拠しているわけであり、
不気味なほどに進んでいく虚無的なストーリー展開が人間の暗部を賤しくも照射しているのが印象的だ。

罪の意識とは何か?を考えるにふさわしい一冊。

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