![]() | 2011年7月24日 テレビが突然消える日 岡村 黎明 朝日新聞社 2007-06-30 [朝日新書 52] by G-Tools |
『2011年7月24日』
この日に何が起こるか知らない人のほうが今はもしかしたら少ないのかもしれない。
そう、2011年7月24日は地上波アナログテレビ放送が終了する日であり、
この日を境にテレビはデジタル(地デジ)へと半世紀に一度の大変革を遂げることになるのだ。
今年5月に行われた総務省の調査によると地デジ認知度は9割を超え、
実際に地デジを視聴している人は約3割にも達している。
とは言っても地デジ機器はまだまだ高い。チューナーですら1万や2万では手が届かない。
値段はXデーが近づくにつれ市場原理が働いて徐々に下がってくるとは思うのだが、
果たしてアナログ停波までに普及率を100%にすることは出来るのだろうか。
本書はこの地デジ問題にスポットを当て、様々な角度から地デジの功罪について問うている。
あまり報じられない外国の地デジ事情やデジタル化において障壁となっている日本の特殊事情などが
著者の長年のメディア経験から丁寧に解説されており、地デジ問題についての一通りの知識を得ることが出来る。
本書が提起している問題の中で最も印象的なのが社会的弱者と地デジの問題だ。
意外なことに現在のテレビは高齢者御用達のシルバーメディアと化してしまっているのである。
NHKによるテレビ視聴時間調査では年齢が高くなるにつれてどんどん視聴時間が増えていき、
70歳以上の老人ともなると一日平均5時間以上はテレビを見ているという結果が出た。
理由は簡単だ。老人にとってほぼ唯一の娯楽メディアがテレビだからだ。
逆にパソコンやケータイを自由自在に使いこなす若年層ではテレビ離れが年々著しく加速しており、
現に私も夕食時のNHKニュース7ぐらいしかテレビの電源をONすることがない。
(そのニュース7とてネットでいくらでも代用できるのでテレビである必然性はない)
生活費を切り詰めて年金で暮らしているお年寄りにとって地デジへの出費は相当痛い。
おもいっきりテレビは普通の画質で十分であるし、水戸黄門なんて印籠を見れたらそれで良いではないか。
「デジタル化は国の情報化、IT化、国際化、グローバリゼーションに深くかかわる、根本的政策」 (p135)
とお役人は言うけれども、お年寄りの方々にとっては肩すかしの国策としか思えない。
カネがかかるのは視聴者だけでなく放送局にとっても同じだ。
高齢者が多く住む田舎や山間部は地形が複雑で中継局をいくつも建てなければならず、
現在においても地デジを見れない地域があるほどで、その出費は地方局の財政を圧迫している。
国民全員が一人残らず地デジを見れるように環境を整備するには放送局だけでは無理な事情があるのだ。
セーフティーネットやインフラ整備のための地デジ政策はまだまだ充分とは言えない。
地デジといえば何かと派手なイメージが付きまとうが、こうした地味な問題にも政府はもっと目を向けるべきなのではないか。
さてこの本には私見ながら問題な点もいくつか否めない。
テレビの影響力や存在感を少し過大評価しすぎではないだろうか。
まるで10年前に発刊された紋切り型のメディア論を読んでいるような感覚が神経を走る。
「テレビがなくなると困るというのは、ただニュースが分からなくて困る、といった単純なものではなく、
社会生活を営んでいく上で、大きな支障が出て来そうな気がするところにある。
そこにテレビの特別な性質がある」 (p157)
と本文に書かれてあるが、10年前ならまだしも今は別にテレビがなくたって大きな支障が出ることはまずない。
むしろインターネットをやっていないほうが生活面でも大きな支障が出るくらいで、
地デジを本格的に論ずるならば"ネットの脅威"についてもう少しページを割かなければ説得力が出てこない。
またデータ放送や双方向機能などデジタルテレビならでの新機能に期待を寄せているが、
これらの機能は客寄せパンダとなるほどの使える代物ではないではないか。
データ放送を見るくらいならばホームページを見た方が実用性や操作性に優れているし、
双方向機能は所詮"おまけ"程度のオプションであって社会を変革するほどの影響力は持つとは考えがたい。
テレビを独立した対象として捉えるがあまりに全体的に中途半端な内容になってしまっている感があるのは残念だ。
が、逆に非ネットユーザー的な視点からデジタル時代の趨勢が汲み取られていて、読む人にとっては新鮮かもしれない。
地デジで起こっている地殻変動の中身がわかる一冊。


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