BOOK REVIEW 132 マックス・ウェーバー『職業としての学問』

ISBN 978-4-00-342095-9職業としての学問
マックス・ウェーバー/著  尾高 邦雄/訳
岩波書店 1936-07-15(改:1980-11-17)
[岩波文庫 白209-5]

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大学へ入学した当初、私は学問を究めようと真剣に意気込んでいた。
せっかく大学へ行ったのだからただ遊んで終わるだけじゃあまりにもったいないではないか----
しかし学んでいるうちにある一つの疑問が眼前に浮かび上がってきた。

学問を究めて、結局何になるの?
というよりも、そもそも究められるものなのか?

世の中を一変させるような法則や論文を何か一つでも発表できたならまだしも、
研究室という社会と隔絶された空間で学問が完結してしまうのは自己満足の範疇に過ぎないのではないか。
学問で食べていく以上はそれなりに社会へ還元せねばならないと思うのだが、
特に政治・行政では学問の成果がほとんどといって良いほど還元されていない。

こんな閉塞的な状況の中において学問の意味とはこれ如何に。
そのヒントが今や古典の領域に入ったこの名著に隠されている。

本書は社会学者のウェーバーが1919年にドイツにて行った講演をまとめたものだ。
当時の大学生に向けて発せられたメッセージが収められているのだが、
正直言って完全には理解できないほど内容が難しい。いや、難しすぎる。
1980年に一度わかりやすく改訳されているものの、それでも難解だ。

難しい言葉を使っているというよりも、言い回しや論理構成がとんでもなく入り組んでいて、
それが読み辛くさせている一番の要因として私たちに降りかかっている。
しかし分量的には薄い本にも関わらず、肝心の内容は非常に濃い。

さてこの本は全体として一体何を主張しているのだろうか。
まず最初に当時のドイツの教育環境について苦言を呈すウェーバーの姿があった。
当時の大学における教育システムについて問題点を論じているわけだが、
これは今の時代にも通じる内容で、いつの時代も理想的な環境を構築するのはなかなか難しいことがわかる。

次に"学問をするときの心構え"としてウェーバーは様々な訓戒を発している。
「専門に籠もれ」「日々の仕事へ帰れ」などといった主張が学生へ向けて語られているわけだけれども、
この裏には当時の時代背景が色濃く滲み出ていることにまずは着目すべきであろう。

1919年のドイツは第一次世界大戦に敗れて政治的に混乱期にあった。
社会が混乱していると「オレにも一言言わせろ」としゃしゃり出てくる学生達も当然のことながら続出してきて、
彼らはしばしば学識よりも行動を先行させて急進的な方向へと舵を取っていった。

が、それではダメだとウェーバーは主張するのである。流行に追われるだけじゃ単なる一過性の病気ではないかと。
学生たちは政策云々を掲げる前にもう少し鍛えられなければならない----
窒息しそうなほどに鬼気迫る文体は当時の混乱した社会状況を如実に物語っている。

さらに本書で印象的なのは学問の意義を究極的に否定している箇所だ。
全く役に立たないわけではないが、決して全知全能とは言えない----
学問をやることによって少しばかり視界が明瞭になるものの、それ以上はない----

神聖さを武器に絶対不可侵の領域にまで学問を押し込めた今の学者たちを見て
もしウェーバーがこの時代に生きていたら何を思い何を語っただろう。
まだ近代的な学問が確立しきっていないこの時代において、
学問の意義から未来に至るまでこれだけ明晰に語れるウェーバーに思わず敬服の念を抱いてしまった。
大学で学ぶ者ならばぜひ一回は読んでおきたい一冊だ。

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