BOOK REVIEW 105 仲正昌樹『ネット時代の反論術』

ISBN 978-4-16-660531-6ネット時代の反論術
仲正 昌樹
文藝春秋 2006-10-20
[文春新書 531]

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「ディベート」という言葉をみなさんはご存知だろうか。
簡単に言えばYES・NOに分かれて論拠をはっきりさせながら議論を行うことで、
近年では教育現場や企業で学生や社員の自己啓発のために導入されることも数多い。

ではディベート力を完璧にしたらどんな議論でも勝てるようになるのだろうか。
残念ながら答えはNOだ。逆にディベートが上手いと墓穴を掘ってしまうことにもなりかねない。

何を馬鹿なことを言っているのか、と思われる方もいらっしゃるかもしれない。
そりゃ相手の正体が誰なのかよく認識できていて、それなりに教養があって、
かつ人格が崩壊していなく、きちんと話が通じるのであれば、ディベートで培われた能力は威力を発揮できる。

しかし議論の舞台がいつもそんな理想的コンディションばかりだとは限らない。
ここで少しインターネットの世界を例にとって考えてみよう。
2ちゃんねるやブログで論争に遭ったときに、どこの誰だかわからない人を相手にして、
知識レベルも性格も全くわからない状態でまともな論争を期待しようとしてもそもそも無理がある。
「論点は○○で」「この論理は矛盾に満ちている」などの論理詰めもネット上では無効になる場合が数多い。
次第に野次馬的なギャラリーが増えてきて、あらぬレッテルを貼られ、ひどいときには人格攻撃をされ、
いつの間にか数の上で劣勢に立たされて、流れに負けてそのまま論戦が自然消滅するというのがオチだ。

本書はそういったネット特有の論戦状況において如何にして反論していくかについて考察した本である。
タイトルに「反論術」とあるもののいわゆるハウトゥーものではなく、
「何が何でも相手に勝とうとする反論合戦がいかにバカらしいか、
 そのためにいろいろな手練手管を使うことが、いかに消耗させられることであるか、
 アイロニカルに距離を置いて見るような内容」 (p214)

となっている。つまり一応反論術は記載されているが、無駄な議論は極力やるなということだ。

そもそも日常生活において目を血眼にして議論しなければならないことなんてまず存在しない。
そんなに本気かつ切羽詰まった論題ならば裁判所へ舞台を移すはずである。
政治・経済にしてもネット上で議論したところで現実が変わるわけでもなく、
議論すればするだけ双方にストレスが生じて結果的に徒労に終わることが少なくないのではないだろうか。

ここで発想を転換すべきなのだ。本書では全く逆の視点から反論術を説いている。

「ほんとうに論争すべき相手ではないのだったら、相手を立てるようなふりをしながら煙に巻き、
 自分がいかに知的かということをギャラリーにそれとなくアピールした方が得策」 (p68)

なんという現実的な方策だろう。これは小泉前首相を例に挙げるともっとわかりやすい。
「人生いろいろ、会社もいろいろ」などと言って論題を上手に煙に巻いて選挙に大勝し、
ディベート的な真っ向勝負を挑んだ民主党が有権者にいつまで経っても受け入れられない現実を前にすると
やはり議論の世界でも処世術というのは必要なようである。
本書はそんな処世術が満載なので議論好き(?)な人は一読されることをぜひオススメする。

新しいタイプの議論の本、此処に在り。

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