![]() | 大学でいかに学ぶか 増田 四郎 講談社 1966-05-16 [講談社現代新書 78] by G-Tools |
『大学で何を学ぶか』の方向性が見えてきたら、
今度はその目標に向けていかにして学んでいくかを考えていく必要があるだろう。
大学での学びを大きく三つに分けると「座学」と「対話」と「現場」が挙げられる。
「座学」とは従来型の講義のことで、これは本を読むことによってある程度の代替は利く。
しかし「対話」は独りではできないし(できたら怖い)、
「現場」での学びも個人レベルで実現していくにはなかなか難しいものがある。
さらに大学では学びに対する能動的な姿勢が何よりも問われてくる。
能動的な姿勢がなければ大学なんて単なる就職予備校に過ぎない。
それではあまりに人生がおもしろくないではないか。
せっかく大学へ入ったのならば「これだ!」と思えることを研究し尽くしたい...
とは言いつつも自分とフィットする学問に出会うのはそう容易でない。
そんなときにお勧めしたいのが今回ご紹介するこの古書だ。
タイトルは何やら"大学とはこうあるべき的"な教育論の雰囲気を漂わせているが、
実際は本文の半分が著者の学術的自伝のようなものとなってしまっていて、
歴史学の話にも話題が及んだりするなどずいぶんと内容が趣旨から飛躍してしまっている。
なので一つの本としての完成度となると首を傾げざるを得ないのだけども、
著者の実直なお人柄というのが文体にものすごく滲み出ていて、読んでいて私はとても好感を抱いた。
《平凡な老書生》と自らを謙遜し、今まさに学生に語りかけているかのようなアカデミック・マインドは
21世紀となった今読んでも時代を超えて相通ずるものがある。
中でもある雨の日、恩師の教授と歩いていた筆者が「濡れてないか?」と聞かれ、
「はい、濡れてません」と答えると「おまえじゃないよ、本のことだよ」と叱責され、
自分はずぶ濡れになりながらも本に傘をさし続けたエピソードはとても印象に残った。
蔵書は人生そのものだから何よりも大切にしなければならない...
そんな心に響くような名言を吐く教授は果たして現代にどれだけいるだろう。
「わたしは、そうした、名もなく、はでな職業でもなく、
けれども仕事にやり甲斐をいだいて生きているひとびとに、
だれかれの区別なく頭を下げたいのです」 (p36)
ただ勉強しているだけではだめだ。もっと深みのある人間にならなければだめだ。
著者はたくさんの人と出会い、様々な学問に触れて自分の世界を築いていった。
『大学でいかに学ぶか』の意味がこの本を読んで初めてわかったような気がする。


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