![]() | 平成NG日記 桑田 佳祐 講談社 1992-06-15 [講談社文庫 く-18-2] by G-Tools |
『稲村ジェーン』という1990年に公開された映画がある。
監督がサザンオールスターズの桑田佳祐というビッグネームであったせいか
興行的には大成功を収めたものの、内容的には各界から酷評された問題作だ。
確かにミュージシャンが創った映画とだけあって音楽面では素晴らしい。
しかし肝心の本編は『真夏の果実』の大長編PVだと割り切って見ればまだ見れないことはないものの、
「映画」としての完成度はメッセージ性・表現性が著しく乏しく、残念ながら駄作と言わざるを得ない。
もちろん桑田がこの映画で何を表現したかったのかというのはファンとして痛いほどよくわかる。
式で表現すれば従来型の映画は[A→B→C→D]で起承転結がはっきりしており、
凝った映画とかになると矢印が複線になったり逆になったりして物語に深みを持たせているわけだが、
桑田がこの映画で表現しようとした世界観は[(A=B=C=D)=E1+E2]で、
個々の情景は等価関係であり、サザン独特の曲構成をそのまま映画という枠に投射したに過ぎないわけだ。
(映像表現技術が未熟であったため当時は桑田自身の思うような作品が撮れなかったが、
その13年後に発売されたDVD作品『Inside Outside U・M・I』では
"監修"という立場ながら随分と理想の形へと映像を昇華することが出来た。)
本書はそんな『稲村ジェーン』製作にまつわる桑田監督の真意を探る貴重な一冊である。
1989年9月から1990年6月まで毎月行われた桑田佳祐と佐伯明のインタビューを再構成して
巻末には桑田佳祐と村上龍の対談を付け加えたスペシャルリミックスバージョンだ。
映画に関しては全くの素人だった桑田は完全なる我流でこの映画を製作した。
しかし映画が好きで好きでたまらないから撮ったというわけではなく、
どちらかというと「映画」よりも「映像」を撮りたかったのではないかとインタビューから感じてならない。
「<桑田>だから映画っていう言葉が大嫌いなんだけどね、オレ。
<佐伯>そうなんですか。じゃ今、何を作っていると言われたら?
<桑田>ていうか「映画」っていうと偉そうじゃん、なんか。」 (p21)
この時点で桑田監督はすでに「映画」から背を背けており、
作品の全体像についてはこうも言い放っている。
「結局行き先がどこにあるのか正直言って分からない。(笑)」 (p33)
監督がそう言っちゃあおしまいだよ、ともツッコミを入れたい気もしないでもないが、
結局完成に至るまで『稲村ジェーン』の核に据えるコンセプトは迷走に迷走を重ねた。
本書を隅から隅まで精読しても『稲村ジェーン』を見たいという気持ちが一向に芽生えてこないのは
映画に懸ける「思い」や監督の「意気込み」「魂」が全く伝わってこず、
逆に"内輪のやっつけ仕事"を誇示するかのような文言が多いことに由来するのではないだろうか。
また本書のインタビューでは当時のサザンの活動についても話題が及んでいる。
『稲村ジェーン』がその後のサザンの活動を決定付ける大きな一つの分岐点となるだけあって、
映画製作と絡み合わせた桑田によるサザン観は今読んでも非常に興味深い。
桑田は本書の"はじめに"において、
「この「平成NG日記」をこれからの将来、
何か迷った時にもう一度僕自身がきっと読み直すだろうし、
この本の最後の読者はたぶん僕だろうと思います」 (p7)
と書き連ねているが今の桑田がこの本を読んだら一体何を思うだろうか。
その答えを直接本人に聞いてみたい衝動に思わず駆られてしまう。
今の桑田と「平成NG日記」の桑田に明確な線引きは出来るのか否か。
『稲村ジェーン』を観る前に読んでおきたい一冊。


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