![]() | ただの歌詩じゃねえか、こんなもん 桑田 佳祐 新潮社 1984-05-25 [新潮文庫 く-8-1] by G-Tools |
サザンオールスターズの桑田佳祐と言えば日本を代表するミュージシャンだが、
実は音楽活動以外にも7冊の本を著している(21世紀に入ってからは刊行なし)。
そんな桑田が初めて世に出した"処女作"が今回ご紹介するこの作品。
1983年までに発表された全作品[『Reggae Man』を除く]の「歌詩」と
桑田によるトークエッセイ+貴重なカラー写真で構成された充実の一冊だ。
(残念ながら現在では絶版となっているものの入手自体はそれほど困難ではない)
長い間ファンをされておられる方ならばきっとお気付きであると思うが、
桑田の発言には一貫性というものがあまりなく、その時々の心理状態が大きく言動を左右する。
なので発言そのものを鵜呑みにしていても深い考察をすることはできない。
むしろその発言をするに至った経緯や背景を考えるほうが遥かに重要であったりする。
さて、本書の場合はタイトルに「歌詩」(歌詞でないことに注目)と付しているだけあって、
「歌詩」についての持論をかなりのページを割いて懇切丁寧にぶちまけているのが特徴的だ。
『勝手にシンドバッド』の「歌詩」を普通に読んでみれば意味不明に限りなく近く、
勢いでテキトーに作ってしまったのではないかとの疑念を一般リスナーは抱ぎがちで、
起承転結を大事にした伝統的な「歌詩」とは明らかにベクトルが別の方向を向いている。
しかし桑田ほど繊細に「歌詩」を紡いでるミュージシャンはいない。
最初はデタラメ英語でサウンドと言葉をリンクさせていき、
そしてその言葉をさらに日本語へと一般化させていくのはまさに桑田の専売特許である。
つまり「オレが作っている歌詩はそんじゃそこいらの作詞家が作るのとは違って
時代の先端を走っているんだぞ!海の向こうに目を向けているんだぞ!」
と強く主張したいがために挑発的なタイトルを冠した本書が刊行されたのではないだろうか。
(ちなみに刊行時は桑田が活動の芽を海外に向け始めた時期であり、
この年にサザンとして初の海外レコーディングも敢行している。
そのため大義名分として日本の音楽界に向けてメッセージを残しておく必要があった。)
当時(1984年)の桑田の諸処の発言をプレイバックしてみると総じてアグレッシブだ。
ちょうど革新的なアルバムを毎年発表していた時期だけあって、
インタビューによっては毒でしかないような刺々しい発言が際立つ。
本書でも自分の曲に対してのぶっちゃけトークがあちこちに散見される。
「『10ナンバーズ・からっと』ってアルバム、実は一番きらいなんです」 (p53)
「『ヌードマン』は退屈なアルバムなんですよ。
(中略)いやなのも2~3曲入ってる。その部分が悔やまれる」 (p182)
現在の桑田はこれほどまで露骨に楽曲を名指しして「嫌い」だとは決して言わないので、
20代特有の"攻撃性"の威力を思わせるし、今となっては貴重な資料だ。
本書は一見すると町内会の宴会場に置いてあるカラオケ本のような体裁をとっているが、
別に「歌詩」を文脈に即して読んでほしいなんて著者自身は全く思っていない。
「読んでるだけじゃ何が何だかわかんねーだろ?だったらレコード聞けよ!
歌詩がそんなに大事なんなら一人で勝手に朗読でもやっとけ!」
という桑田からの挑戦状こそが本書の核なのだ。
「歌詩」は裸のまま衆目に晒されているだけなのである。
もっともこの「ただの歌詩じゃねえか」という音楽観も後に180度転回することになるわけだが...
「歌詩」に懸けた桑田佳祐の熱い思いを感じ取れる一冊。


遅れてきたファンとして、この本の入手に、結構苦労したので私の「蔵書」では最上級の一冊なんですが、そうかあ、裏事情は全然知らなくて、あとがきの村上龍の文章が印象に残っています、素晴らしいです、龍ちゃんこの文章で残るんじゃないかと思うほど。
「海の向こう」に受けいれられるかどうかって、そんなに重要ですかねえと、今なら言えますが。
大丈夫、私達で伝えて行きましょう。
なんて、またあ・・・ですが
>megumiさん
書き込みありがとうございました。
そうなんですよ!この本の解説は村上龍さんが担当されているんですよねぇ。
作家の方が「桑田佳祐」を書くことなんて今も昔もあんまりない気がするので新鮮でした。
桑田さんは'80年代半ばはものすごく海外を意識していましたが、
'92年の北京ライブで海外との壁を再認識して以来、
音楽で海外の頂を極めようなんていう思いはほとんどなくなったと思います。
サザンの世界観ってほんとに奥深いですよね。
僕もその魅力を今を生きる人々にもっともっと伝えていきたいです。