![]() | 人はなぜ死ななければならないのか 小浜 逸郎 洋泉社 2007-02-21 [洋泉社新書y 169] by G-Tools |
どんなにお金を持っていても、どんなに地位が高くても、
人間としてこの世に生を受けている限りはいつか必ず「死」が訪れてくる。
「死」を避けることは現代の高度文明においても誰一人としてできない。
さて、そこで一つの疑問が生じてくる。
『人はなぜ死ななければならないのか』
するとスピリチュアルやら占いやら宗教などがこぞって"あっちの世界"の存在を持ち出してくるが
そもそも"あっちの世界"なんて存在しないと思っている著者や私のような人間にとっては
どうしてもその理論が"まやかし"のように聞こえてしまう。
本書はそんな人類の永遠のテーマに対して哲学的見地から鋭く斬り込み、
人が死ななければならない理由について徹底的に黙考した気鋭の哲学書だ。
まず最初に作者は「人は何のために生きるのか」という論題から考察を始める。
結局のところ私たちは毎日何のために生きているのだろう。
そこで著者が出した答えを簡潔明瞭にまとめると以下の文章に集約される。
「「人生全体」には、あらかじめ与えられた意味や目的など
一切存在しないと観念すべきである」 (p48)
「愛する人のため」「地域や仲間のため」「出世して豊かな生活を送るため」...
私たちは今日や明日を生きるために小さな[目的]や[意味]を無意識のうちに設定しているが、
では人生全体では、となってくるとなかなか話は難しくなってくる。
かつて作家の五木寛之も『人生の目的』という著書の中で、
「人生の目的とは「人生の目的」を探すことである」と表現したように
所詮人生なんて明確な意味や目的など存在しない人間の惰性な営みなのかもしれない。
そして次の章では「哲学・思想はほんとうに役に立つのか」と自問自答をし、
さらには「死はなぜ不条理で恐ろしく、また悲しいのか」と問題を根元まで深く掘削している。
最後の章でいよいよ表題の疑問を紐解いていくわけだが、
結局のところ著者はこの不朽の疑問に対してどのような答えを読者に提示したのだろうか。
「結論から先に言えば、人はまさに人たる資格において、
「死ななければならない」のである」 (p159)
ここに至るまでのダイナミックな論旨展開は実際に読んでいただくとして、
要するに野暮なことを考える以前に問答無用に人は死ななければならないというわけだ。
「死」というのは人間にとって絶対に必要な遺伝子プログラムなのである。「死」なしに「生」はない。
これは仮に「死」の概念が全くない場合を考えてみるとわかりやすい。
例えば今から数百年後に医学の進歩で人が永遠に生きられることが可能となり、
「よかったねぇ、おじいちゃんおばあちゃん。これから先もずっと生きられるようになったよー。」
と言って身体が衰弱しきって介護も常時必要とされる老人は果たして喜ぶのかという疑問だ。
かといっていくら死期が近づいていても、心の中でどれだけ死にたいと思っていても、
いざ何者かに銃口を突きつけられたら恐怖感を抱いて激しく抵抗するのが人間の"性"というものである。
「死」があるからこそ「生」に潤いを与えることができるわけだけれども、
どんなに死ななければならないということをわかっていてもやっぱり「死」はとてつもなく怖い。
すべてが細胞単位で消滅していって、ただひたすら「無」になるのが「死」なのだ。
「無」である世界を想像してみると...ゾクっと悪寒のような寒気がしてしまうだろう。
もちろん「死」に対してはいろんな考え方がある。
そんな中でも今日は哲学の世界から「死」の意味を探ったこの本をここに紹介することにした。


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