BOOK REVIEW 63 荒井信一『戦争責任論』

ISBN 978-4-00-600146-9戦争責任論 現代史からの問い
荒井 信一
岩波書店 2005-06-16
[岩波現代文庫 学術146]

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ブッシュ大統領がイラク戦争の戦争責任を巡って窮地に立たされている。
もともとイラク戦争は開戦当時のプロセスから無理やり感が否めなく、
私もあまりの無謀振りに怒りを感じて、当時HP上にはっきりと「反対」と書いた。

すでにこの戦争でのイラク人の犠牲者は約6万人で、米軍の犠牲者も3000人を超えている。
絶対不可避の状況だったならまだしも、別にやらなくたって良かった戦争である。
ならばもはや犯罪ではないか。ブッシュ大統領は犠牲者に対してどう責任を持つのだろうか。

が、そこが一筋縄でいかないのが政治の世界である。
個人が何か犯罪を犯せば国家が罪を裁くことができるが、
「国家」の名の下に戦争を遂行すれば国家より上位の概念が現実的にない以上、
(もちろん国連はあるのだけれども、司法的にはほとんど機能していない)
たとえ責任が明確な地位にあっても国際的に訴追するのは困難を伴う。

さて何も戦争責任に揺れているのは遠い国のブッシュ大統領だけではない。
今、我々が住んでいるこの日本だってそうである。
ご近所の国々とはかれこれ60年以上にも渡って戦争責任について揉め続けている。

なぜ今もアジアだけ顕著に揉め続けているのか。そもそも「戦争責任」とは一体何なのか。
本書では第一次世界大戦から現代の紛争に至るまでの「戦争責任」の歴史を可視化し、
日本の戦争責任の"曖昧さ"について舌鋒鋭く迫っている。

日本は独特の曖昧な文化を有していて、それが奏功している場合もあるのだが、
こと戦争責任に限ってはその曖昧さが仇となって深刻な副作用が顕現してしまっている。

「戦争の後始末よりも、アメリカのアジア冷戦戦略のなかに
 日本を経済的軍事的にどう組み込むか」 (p210)

と本文にあるように、とりあえず戦争のことはカタチだけ処理して隅に置いておいて
何よりも経済的な復興を最優先させたのが日本に対するアメリカの戦略であった。

しかしこのことが戦争責任の所在を余計に曖昧にしてしまう。
「一体誰に責任があるのか」という肝心な問いにおいて国民的なコンセンサスが全く得られていない。
あのとき徹底的にウミを出し切っていればおそらく今の欧州のように
少なくとも表舞台では大きく政治問題となることはなかったのではないか。

戦争責任に限らず、日本はなあなあな無責任国家である。
夕張市が財政破綻して「一体誰に責任があるのか」はっきりさせないまま
しまいには「被害者」を装って「なあなあ」で物事を処理しようとしているのは典型例で、
相次ぐ自治体の不祥事も関西テレビも何かにつけて行為を正当化しようとしていて、
結局核心には触れずにカタチだけの責任で物事を逸らせてしまう。

人間というのは自分が犯した罪に対してどうしても素直になれないものだ。
誰しもが自分のことを一番正しいと思っているので、都合の良い事実を誇張して正当化に明け暮れる。
だけども潔く悪いことを認めるというココロの強さも時として必要である。
その素直さが潤滑なコミュニケーションを育んでいき、その蓄積が周囲からの信頼につながる。
そんなココロを今すぐ持って欲しいのが日本政府だ。

全部が悪いわけではない。だが全部が良いわけでもない。
戦争責任は非常に複雑で難しいテーマだけれども、
扇情的な言葉を一切使わずに淡々と学究していく本書はきっと未来のヒントになるはず。

まずはクールダウンさせてじっくり考えながら読んでみたい一冊。

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