![]() | 笑う大英帝国―文化としてのユーモア 富山 太佳夫 岩波書店 2006-05-19 [岩波新書 新赤版1017] by G-Tools |
今年のお正月に放送された某テレビ番組で
井手らっきょが全裸になって山本モナに挨拶していたシーンがあった。
このシーンを見て不埒な輩である私は思わず爆笑してしまったのだが、
果たして一体何がおかしくて自分は笑ったのだろうか。
上記の光景を抽象化すれば
「全裸になって挨拶する行為」が笑いを誘うという仮説が成り立つ。
ではこの仮説を別の例を用いて具体化して証明してみよう。
DJ OZMAが全裸になって北島三郎に挨拶したらどうだろうか。
おそらく私は笑わない。というか笑えない。
ということはこの仮説だけでは私が笑った理由を証明することはできない。
ならば対象体の成分にヒントが隠されているのではないだろうか。
井手らっきょという芸人...(以下略)
...このように笑いの理論を追求していくのは一つの科学といってよい。
が、笑いの機序に関しては現代においても大して解明されておらず、
さらに解明されたとしても実用性がないに等しいどうでもいいことである。
それに笑いを理屈で捉えることは精神衛生上も実は良くなかったりする。
かつて上方に桂枝雀という落語家がいて、
天才とはこういう芸人のことを指すんだというほどの爆笑王だったが、
笑いの理論を科学的に追求しすぎてうつ病に陥って自殺してしまった。
今回紹介するこの本は「笑い」を本気で学問した数少ない気鋭の著である。
タイトルにもあるように「大英帝国」、つまり紳士の国イギリスをテーマとして
「笑い」について追求していこうという男気溢れるマニア書だ。
イギリスはアメリカやフランスほど「お笑い」なイメージはないが、
実はありとあらゆるものを「笑い」にする不真面目な国(by 著者)で、
その標的は時に国王や戦争までにも及ぶ。
「笑い」についてのタブーが多い日本とはどうやら事情が違うみたいだ。
本文では主に18-19世紀に刊行された風刺雑誌を用いて、
テーマ毎の「笑いの技法」について解説している。
しかし著者のテンション高い筆跡とは裏腹に笑うに笑えない上に、
何がおもしろいのか理解するのが難解で逆にノイローゼになってしまいそうだ。
そんな私に著者は 「笑う側も要努力」 (p126) ととどめを刺してくる。
論理的に爆笑に至るまでの技法を理解できても、
それが「笑い」につながるかというと決してそうではない。
本の最後のほうになってくると常識が破綻した「笑い」まで登場してきて、
読者は今まで経験したことのないマテリアルワールドへ飛びこんでゆくことになる。
「人は耐えがたい苦しみや悲しみを前にしても笑うことがある」 (p214)
ここから先は精神崩壊な恐い世界なのであえて触れないでおく。
では著者は結局この本で何が言いたいのか。
「私は、個人的には、あまり結論などに執着しない性格であるし。
それに、途中で何度か結論めいた捨て科白を書いてはおいたので、
襟を正して改めて結論づけることもないような気がする」 (p227)
どうやら結論めいた論旨は何もないようだ。
しかしあえて私が結論として挙げるならばここの箇所を選ぶ。
「パロディはいつもいつも滑稽な笑いにつながるとは限らない。
ときにはそれは、自明のこととされる日常性のベールの下に
隠されてしまっているものを眼に見える場所に浮上させてしまうこともある。
そのときに、ただ笑うだけの反応しかできないとしたら、
そこにあるのは精神の貧しさであると言うしかない」 (p163 一部改)
日本の芸人が魅せる「笑い」に対する一種のアイロニーがここにあり。


コメントする