BOOK REVIEW 9 辻仁成『太陽待ち』

ISBN 978-4-16-761203-0太陽待ち
辻 仁成
文藝春秋 2005-02-10
[文春文庫 つ-12-3]

by G-Tools


…愛は時代や空間をも超越する…

「愛」と「死」というのは表裏一体なものであると私は感じている。
どちらかにゲージが偏っていればいるほど、
その反動というのもまた大きい。

この作品の随所随所に埋められている
いずれの「愛」のカタチも例外なく「死」と直結しており、
まるで死化粧から放たれる芳醇な色香のように
危険で美しくもある蠱惑的な「愛」が顕然と描写されている。

主人公の立原四郎は映画界の巨匠:井上肇がメガフォンを取った
大作の撮影に美術技師として参加していた。

井上は撮影現場にてひたすら"太陽"を待っていた。
他の誰にもわからない、井上にしか理解できない"太陽"を
日に日に待ち続けていた。

しかし意中の太陽がなかなか出てこない。
出てきたと思ったら撮影自体の焦りからかキャストが空回りを演じてしまう。
そして精神的に限界を重ねた井上は過去の記憶に苦しみ始める。
そう、60年ほど前、戦時の南京で直面した「愛」の記憶に…

この物語では全く違う磁界に潜む3組の男女が
限りなく不可能に近い「愛」へ凛然と挑んでいく。

主人公の兄であるマフィア:立原二郎と
井上肇の側近である丸山智子との
"生"を越えてつながり続けている「愛」。

理由あってヒロシマの病院に入院することとなった
米兵:クレーグ・ブシャードとその病院の看護婦であるレイコとの
"時代"を越えてつながり続けている「愛」。

そして井上肇が戦時下の南京にて出会った
大日本帝国の国策映画のヒロインである中国人:フェイファンとの
"時間"を越えてつながり続けている「愛」。

この3組の「愛」は時間も空間も全く交錯しない。
しかしどの「愛」も冷然たる現実に立ち向かわなければならず、
その点では3組とも共通の「愛」の運命(さだめ)で繋がっている。

二郎は麻薬を持ち逃げしようとして
何者かにピストルで撃たれ植物人間となってしまったが、
恋人である智子はそんな二郎の変わり果てた姿に
生前の二郎の姿を重なり合わせてゆく…

来月にはヒロシマに原爆が投下されることを
自分だけがトップシークレットに知っているクレーグ・ブシャードは
自分は助からないにせよせめて病院で出会った美しい少女である
レイコだけでも何とかヒロシマから助け出したいと日々願う…

あれだけ愛を誓い合ったフェイファンが
突然あれほど憎んでいた国策映画の監督と愛を囁き合うようになり、
その豹変振りを目の当たりにして井上は
あれほど愛しているのにどうして?なぜ自分から愛は遠のいていく?
と自答自責を繰り返し、徐々に気が狂っていく…

物語の構成的にキーポイントとなってくるのが
「二郎の世界」の章の存在だ。

植物状態になってしまっている二郎が
少年時代の過去について回想するシーンなのだが、
そこには3組の「愛」が遠視化されて織り込まれている。
少年の視点から描かれている3組の不可能な「愛」の姿は
無情にも「愛」に潜む凶器を浮き彫りにし、
動ずることのない障壁として"時間"や"空間"が
「愛」の前に立ちはだかっている現実も何とも悲哀だ。

物語の中でも特に強烈な印象を持ったのは
"フェイファンの悲劇"のラストシーンだ。
「死」を救うことができるのは他の何でもない「愛」だが、
「死」を呼び起こすのもまた「愛」である現実…

…愛の限界へと挑んだ長編純文学の世界をあなたへ。

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