ISBN 978-4-334-03443-6実は悲惨な公務員
山本 直治
光文社 2008-03-20
[光文社新書 340]

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週刊誌の記事はあらゆる人・組織に対するバッシングで毎号溢れかえっているが、
そんな中でも定番となっているネタが公務員へのバッシングだ。

確かに最近はけしからん公務員たちが官庁や地方自治体に多数生息しており、
おまけにそういった公務員たちが"イイ思い"をしているイメージが染みついているだけに
公務員へのバッシングは正義の名の下にいかなるものでも正当化される傾向がある。

ただこういった公務員バッシングに"ミステイク"はないだろうか。
断っておくが私は何も公務員の既得権益を擁護しているわけではなく、
官僚の不祥事や地方自治体の腐敗ぶりには怒り心頭している"しがない"一般市民だが、
そんな私から見ても「このバッシングの仕方は違うんじゃないか」と思うことが結構あるのだ。

例えば一連の年金問題で社会保険庁がこれでもかとバッシングされているけれども、
何も社会保険庁だけが悪いというわけでは決してないはずである。
政策を牽引した旧厚生省や「100年安心」などと嘯いた政党も責任の一端を担っているはずなのに、
なぜかノンキャリアの社保庁職員だけが集中的に叩かれているこの理不尽な現実。
やはりバッシングの仕方にどこか問題があると考えるのが賢明なのだろうか。

本書はマスメディア等で頻繁に行われる公務員バッシングに疑義を呈し、
公務員が置かれている"意外に悲惨な"実情に目を向けて、
その上で正しい公務員バッシングのやり方とは何かを考察した一冊だ。
悪意に満ちてこの本を解釈すれば、公務員の言い訳・屁理屈が満載で、
公務員が日頃どのような思考回路で職務を遂行しているのかが手に取るようにわかる。

基本的な構成としてはバッシングのネタにされやすい天下りや勤務実態などの事項を
世間に誤解されている点を指摘しながら、一つずつ丹念に検証していっている。
この流れにおいて一般にはあまり知られていない公務員にまつわる真実が次々と表出し、
中には意外と思われるものまであったりして非常に興味深い。

例えば天下りと聞くと誰もが「諸悪の根源である」とイメージングしがちだが、
本書ではすべての天下りが悪いわけではない、と世間とは正反対の主張を展開している。
「社会的に存在意義がある事業・組織に、余人をもって代えがたい適任者として選ばれた人が、
 職責に見合った待遇で着任しているなら別に非難されるいわれはないのではないか」 (p78)

というわけであり、下手すれば職業選択の自由をも奪いかねない。

仮に天下りがダメだとすれば民間へ転職していくしか進路はなくなってしまうのだが、
「公務員出身者に勤まるのか...」などといった公務員への偏見が依然として根強くあり、
そういった思惑を払拭しない限り天下り禁止は難しいのではないかという主張は傾聴に値する。

また「マスメディアとそれに煽られた世論が特定の問題を騒ぎ立てるのも、
 多くは一時的なものにすぎず、しばらくするとケロリと忘れ去られてしまう傾向がある」 (p180)

とあるように、マスメディアにおける過剰報道への視線も厳しい。

ある自治体Aの公務員が窃盗犯で捕まったという新聞記事が配信されると、
「公務員はけしからん」「自治体Aの責任者はどうなってるんだ」とバッシングが始まり、
自治体Aに勤務する他の公務員のブログも炎上する事態になることがあるが、
冷静に考えれば窃盗が公務員特有の犯罪というわけではなく、
捕まったのがたまたま公務員だったという話だけではないかという疑問が出てくる。
それを一般化させて無理矢理公務員バッシングへと昇華させていくのは、
日々真面目に勤務に励む善良な公務員の士気を無駄に下げかねることにもなりかねない。

では有益なバッシングをするためには結局どうすれば良いのだろうか。
その処方箋がエピローグで述べられているのだが、
いささか精神論に偏りすぎてしまってあまり有効とは言い難いのが残念なポイントだ。
「根気」で解決できるならばとっくの昔に公務員問題はすべて解決されているはずであり、
願わくばもう少し建設的かつ理論的な提言をしてほしかった。

公務員の実態を知りたいあなたに贈りたい一冊。

ISBN 978-4-10-128952-6土の中の子供
中村 文則
新潮社 2008-01-01
[新潮文庫 な-56-2]

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PTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉が一般にも広く知られるようになったのは
確か阪神・淡路大震災がきっかけだったように記憶している。

震災時、大阪に住んでいた私は幸いにも生命に危害が及ぶほどの状態には陥らなかったが、
それでもテレビ画面に映し出される衝撃的な映像や断続的に続く余震は恐怖を増幅させ、
少し揺れただけでも全身に戦慄を覚え、トイレへ行くのですらも震え上がっていた。
今にして思えばこれは一時的に私を襲った軽度のトラウマだったように思う。

もちろん神戸で被災された方々が実際に受けた衝撃やトラウマには計り知れないものがあった。
未曾有の大惨事は児童から大人に至るまで精神的に激しいショックを与え、
今なおPTSDに苦しみ続けている被災者の方がおられることも決して忘れてはならない。

幼き日に体験したトラウマというのは身体の奥深くにまで刷り込まれ、
それを消し去ろうとしてもなかなか思うようには消えてくれないのが現実だ。
震災のような大きなトラウマはもちろんのことながら、
小さなトラウマだって日常生活に重くのし掛かっていく。

ショッピングセンターで迷子になり、閉店後もすぐには親が引き取りに来てくれなかった体験。
些細なことで血相を変えるくらい親に怒鳴られ、誰にも助けてくれない孤独を感じた体験。
身体のことに関してクラスメイトにちょっかいをかけられ、大きな恥をかくことになった体験...
そういったトラウマは人間の行動の一部を知らず知らずに規定し、
次第に人生をも浸食していって、この社会に生き続けることがだんだん嫌になってくる。

今回ご紹介する物語の主人公は幼き頃、義父母の家で日常的に虐待されていた。
殴られ、蹴られ、自分という全存在をこれでもかと否定され、
生きていることそれ自体が罪だということを認識せざるを得なかった。
ひょっとして自分は汚れることにしか存在意義を見出せないのだろうか。

虐待は更にエスカレートしてやがて主人公は土の中へ生き埋めされることになる。
かつて人間は屍になると土葬され、「生物」として食物連鎖の自然界へと還元されていったが、
今ここに生き埋められている自分はまさに最も人間らしい行為を完遂しようとしている。
素晴らしいではないか!これで義父母の顔を見なくて済む上に醜い世界とも縁を切ることができるのだから。

いや、主人公は納得しなかった。違う。違う。何かが違う。だけど何かが何なのかがわからない。
その何かを言葉で明瞭に表せるようになるためには生き続けなければならないのではないか。
このままではあまりにも生き損であり、トラウマという絶壁を克服しなければ、
自分の魂を翫び続けた義父母が笑うだけであり、その笑い顔は私を殺していくに違いない。

「私は、生きるのだ。お前らの思い通りに、なってたまるか。言うことを聞くつもりはない。
 私は自由に、自分に降りかかる全ての障害を、自分の手で叩き潰してやるのだ」 (p92)

こうして九死に一生を得た主人公だったが、大人になってからも苦難は続いた。
マゾヒスティックに不幸を欲している自分。己を刃物で傷つけて笑っている自分。
常人には理解しがたい奇妙な行動を取る主人公のココロの粘膜は見事に剥がれ落ち、
消えないトラウマを完膚無きまで消し去るために主人公は無駄とも言える藻掻きを繰り返していた。

「このまま何の役にも立たずに、虫みたいに死んでいく自分がだよ。
 しかも、俺は笑ってるんだ。屑じゃないか。そうだろう?」 (p59)

彼にとって「生」とは一体何だったのだろう?
自殺的な行動を何回もとってしまうのに決して死にたいわけではなかった主人公。
彼の悲劇的な人生から私たちの生きるヒントを酌み取るとしたら何があるのだろうか。
それはあなた自身で本書をお読みになって"悲しき性"を感じ取ってほしい。
人間はどんな逆境に陥っても逆説的に希望を抱き続けることができるものなのだ---

本書では他に短篇『蜘蛛の声』も収録されている。
この物語もトラウマに起因して生の根源を探っていく物語だが、
併読すると作者のアイデンティティが見え隠れして実に興味深い。

電気を消して蝋燭を灯しながら読んでみたい一冊。

ISBN 978-4-00-430815-7遺伝子とゲノム-何が見えてくるか-
松原 謙一
岩波書店 2002-11-20
[岩波新書 新赤版815]

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京都大学の山中伸弥教授率いる研究グループが
iPS細胞(人工多能性幹細胞)の培養に成功したというニュースは世界中に衝撃を与えた。

今まで再生医療の分野ではES細胞を用いた研究が幅広く行われてきたが、
材料としてヒトの受精卵が必要なだけに倫理的な問題が生じたことや、
韓国の学者が発表した論文に捏造が発覚したりしたことなどから
思うように研究を進めることが困難になってしまっていた。

そこに倫理的な問題をクリアした夢のようなiPS細胞が登場することにより、
一気に実用化への機運が高まり、人類は更なるステージへと一歩踏み出すことになる。
今までは臓器移植をするしか救命する手立てがなかった重篤な疾患も
iPS細胞を使うことによって容易に治癒しうる時代になっていくかもしれない--

ただ、iPS細胞の一体何がすごいのかというのがニュースだけではなかなか理解しがたい。
"何となく"のレベルでは遺伝子の世界を理解できたとしても、
細かいメカニズムまでをも完璧に理解することは至難の業である。
よって初学者にも優しい教科書的な本が必要となってくるのだが、
教科書というのは実に無味乾燥なスルメイカのような書物で、
使い方を間違えてしまったら瞬時に睡眠導入剤へと化してしまう。

そこでオススメしたいのが今回ご紹介するこの一冊だ。

本書は日進月歩を遂げる分子生物学の世界を理解するのに最適な新書で、
コンセプトとしては一応初学者向けに書かれているものの、肝心の内容は若干難しい。
だが遺伝子の世界がこれほどまでにドラマティックに構成されているのかと思うと
人類の一員として興奮を抑えることが出来なくなってしまった。

人間の身体は奇蹟と言って良いほどの見事な機能を絶妙なバランスで果たしている。
一日ぐらい不摂生しただけではそう簡単に病気になんてならないし、
血液や臓器は神懸かりと言って良いほど一瞬の弛みもなく動き続けている。
そんな身体の設計図を担っているのが本書のメインテーマでもある"ゲノム"だ。

本書ではゲノムとは何ぞやといった根本的な問いから最新の学術成果まで
ゲノムに関する一通りの基礎知識が著者の私見も交えながら整理されており、
中でも私が特におもしろいと感じたのが『Ⅵ ゲノムから生命の関係を考える』だった。

まず大前提としてDNAは一字一句違わず正確に複製されていくわけだけれども、
(一字一句違っただけでも身体に異常が生じてしまう)
何らかのきっかけでDNAに傷が付いてしまい、複製にエラーが生じてしまうことが時にはある。
この場合はもともとDNAに備えられている修復機能が作用して事なきを得るのだが、
それでも修復機能を掻い潜ってしぶとく生き残るエラーもいくつか存在する。

が、実はこれはわざと変化させているんじゃないかということが最新の研究でわかってきた。
なぜ意図的にエラーを生じさせる必要があるのかといった本当の理由は解明されていないだけに、
ジャンクなコードはただ単に意味不明の文字列ではないかとも思えてしまうのだが、
今後研究を重ねていくうちにこれらのエラーの意味が明瞭になっていくかもしれない。
そしてその意味が医療へと応用されれば革新的な新薬が登場し、
人類があらゆる病を完全に征圧していく日もそう遠くはない未来にやってくることになるだろう。

戦争が絶えず環境破壊が進む地球にとって、ゲノムは数少ない"希望の星"だ。
せっかく人間としてこの世に生を受けたのだから、ゲノムのことをもっと深く知り、
人類の壮大なる夢を"希望の星"へと託してみようではないか。

読むと頭の中がgene gene(じんじん)してくる一冊。

ISBN 978-4-06-275998-4日の砦
黒井 千次
講談社 2008-03-14
[講談社文庫 く-4-4]

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18時までには家に帰ると伝えたはずの同居人が19時を過ぎても帰ってこない。
いやいやまだ1時間だ。1時間程度で不安感を募らせていては自分の沽券にも関わってしまう。

2時間が過ぎた。さすがに不審に思って「今どこにいる?」との所在確認メールを送るも返事はない。
電話をしても「この電話は現在...」のアナウンスが延々と繰り返されるばかり。

ひょっとして何か予期せぬ事件に巻き込まれてしまったのだろうか。
もしくは事故に遭ってしまって今頃意識が朦朧としているのだろうか。

嫌な汗が全身から滲み出る。どうか無事であってくれ。
このまま家に帰ってこなかったら警察に捜索願を出さなければならなくなる。
そうなると厄介な雑務に追われるし、明日の仕事も行ってる場合ではなくなってしまう。

...すると突如として玄関のベルが鳴り、何食わぬ顔で同居人が帰ってきた。
「いや~、隣の奥さんと話が弾んじゃってついこんな時間に...」

安堵の表情を浮かべると同時に、今まで抱いた底知れぬ不安感が一瞬にして砕け散っていく。
人生というのは意外にこういった不安と安堵の繰り返しで組成されているのかもしれない。

このように日常的に起こる不安感と平凡な家族の葛藤を描いたのが今回ご紹介する連作短篇集だ。
主人公の高太郎は定年を迎えてセカンドライフを満喫する典型的な60代の男性で、
趣味や交友録といったものも特に持たないため、早急に生きがいを見つけなければならない。
妻の堤子との間には一男一女をもうけ、長男の夏男は結婚して家を出て行ってしまった。
残った長女の秋子と共に首都圏の郊外にてひっそりと過ごす毎日を送っている。

結婚,マイホーム,子育て...といった華やかな目標があったサラリーマン時代とは違い、
人生を揺り動かすような明確な目標を築きにくいのがセカンドライフ。
安心して老後を送るためにも家族とのふれあいをもっと密にしていきたいところだが、
仕事一筋に生きてきた高太郎にとっては家族との距離感がなかなか掴めず、
会話を交わしても旅行に行っても妻や娘と上手く噛み合うことができない。

同じことの繰り返しとなる毎日においては些細なことでも脅威と映り、
逆にどんな小さな事でも新鮮に映るという"感覚神経の鋭敏化"が起こるものだ。

例えば本書収録の『家族風呂』では家族3人での一泊二日の温泉旅が描写されているが、
物語中に登場する出来事にインパクトがあるというわけでは決してない。
全速力で走り続けるビジネスマンにとっては一時記憶もされないくらい微々たることであろうし、
そんなことに対していちいち不安や安堵といった感情を生じさせる暇もないだろう。

しかし今の高太郎にとっては目の前に勃興するプライベート空間こそが全世界なのだ。
なのでどんなに小さな出来事でもまるで自らの根幹を揺るがす事態のように受け止めてしまい、
他に思いを巡らすことがないせいか条件反射のように反応してしまう。
そして非生産的な時間だけが悪戯に過ぎていき、人生の終幕へと一歩一歩近付いていく...

このような状態を"哀愁漂う"と表現するとどうしても爺臭くなってしまいがちだが、
人生の第二コーナーを曲がった人にしかわからない特有の感覚が実に上手く表現されている。
年を重ねて老境に入るのがこんなにもせつないことだなんて私にはまだ実感として湧かない。
でもこのせつなさは私が今まで味わってきたせつなさと明らかに質感を異にしており、
黄泉の芳香を漂わせているのも"死"には抗えない人生の無情さを感じてしまう。

不安、そして安堵。その行間に潜んでいる人生のエッセンスとは一体何か。
その答えは本書を手にとって各々の価値観に照らし合わせながら確認していただければと思う。

老後の人生を襲う不安について少し覗き見してみたい人に贈る一冊。

ISBN 978-4-480-06416-5友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル
土井 隆義
筑摩書房 2008-03-10
[ちくま新書 710]

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「KY」という新語が瞬く間に日常会話へ浸透していったことからもわかるように、
今の社会における人間関係では「空気を読む」スキルが何よりも求められる。

空気を読めない=KYな人はまるで触法行為を犯したかのように周囲から非難され、
リラックスして楽しむはずの飲み会も空気から取り残されることを思うと気が気でない。
もし集団から浮いてしまったら排除の論理が働いてKYの人へと懲罰が下されることになるだろう。
円滑な人間関係を築くためにはいかに空気を読むかという心理戦が非常に重要であり、
現代を生きる若者たちにとって「空気を読む」ことはまさにサバイバルと直結しているのだ。

ではなぜ若者たちはこうも過剰に空気を読まなくてはならないのだろうか。
病的なほどのピア・プレッシャーが人間関係を窒息させるように覆い尽くし、
空気を読むことに疲れて生きづらさを訴える人たちもこれほどまでに多いのに、
彼らはそういった偽りの人間関係から抜け出すことが出来ずにむしろ依存してしまう。
そこには現代社会が抱える深刻な病理が潜んでいた...

本書は現代の若者たちが作り出す人間関係の特徴を社会学的な見地から分析し、
「空気を読む」世代が宿命的に併せ持っている悲劇的な病巣について鋭く迫っている。
タイトルにある「友だち地獄」という刺激的なフレーズにすべてが物語られているように、
今や若者たちにとって友だちとは安住の存在ではなく地獄の存在になりつつあるのだ。

いじめ,リストカット,ひきこもり,ネット自殺...
本書では若者たちを取り巻く様々な社会現象が豊富な事例と共に取り上げられており、
これらを語る上でキーワードとなってくるのが本文中に諄いほど登場する『優しい関係』だ。

ここで『第一章 いじめを生み出す「優しい関係」』からそのキーワードの本質を捉えていきたい。
学校裏サイトに代表されるような昨今のいじめは従来のいじめとはベクトルを全く異にしている。
従来のいじめは強い者が弱い者を肉体的・精神的に陵辱するという単純な構図で、
のび太とジャイアンのような関係を頭の中に思い描くとわかりやすい。
そのため教師は加害者を叱責し、被害者をケアすることでいじめに対処することが出来た。

ところが最近発生するいじめはほとんどのケースがこういった構図にならないのだ。
加害者と被害者の関係は極めて流動的で、誰がいじめのターゲットになるかは運次第。
大人社会と同様に生徒間でも「空気を読む」スキルが要求され、
空気を読めない(というよりも同質でない)人たちには容赦なく鉄拳が下ることになるのである。

一瞬気が緩んでしまって場違いな発言をしてしまったならばそれは瞬時に"いじめGO"サインと化し、
たとえクラスの人気者であったとしても容易にいじめの被害者へと転落してしまう。
なので生徒たちは自分たちが標的にならないよう何時も過度に気を遣い合わなければならない。
彼らにとって誰かをいじめることは根底に憎悪の感情があるというわけではなく、
「人間関係の重さを軽くするためのテクニック」 (p22) にすぎないのだ。
「いじめの主導権を握っているのは、いわば場の空気」 (p22) なのである。

そこで身を護るためにも生きる知恵として『優しい関係』が必要となってくる。
異質なものが排除されるわけだから、相手と価値観さえ同調させていればとりあえずは安心だ。
相手の傷口に触れず、衝突を避け、行動も一緒。とにかく友だちと異質なところがあってはならない。

「相手の事情を詮索して踏み込んだりしない、あるいは自分の断定を一方的に押しつけたりしない、
 そういった距離感を保つ「相手に優しい関係」とは、ひるがえってみれば、
 自分の立場を傷つけかねない危険性を少しでも回避し、
 自分の責任をできるだけ問われないようにする「自分に優しい関係」でもある」 (p46)

しかしそういった偽りの友だち関係には当然の如くフラストレーションが溜まっていく。
ならばそんな関係を断ち切って、他の人と親しくなるかあるいは独りになるかすれば良いではないか、
と思ったりもするのだが、それが出来ないのも若者たちの病理現象だと著者は指摘している。

自己肯定感が脆弱なために、常に相手からの承認がなければアイデンティティが維持できない。
どうして特に意味もないケータイメールを一日何回もやり取りしたり、
自己プロモーションのようなブログ・SNS日記に強迫的にコメントをつけたりするのかと言えば、
"人とつながっている"という状態が自己肯定感を充足させ、孤独を紛らわせるからだ。

他にも『第三章 ひきこもりとケータイ小説のあいだ』や
『第四章 ケータイによる自己ナビゲーション』なども大変おもしろい考察で、
今を生きる同年代の人々にもぜひ実際に手にとって読まれることをオススメしたい。
最後に本書で最も印象に残ったこの言葉をここに記したい。

「腹を割って話しあい、互いの人間性を高めていけるような対人関係を築く能力ではなく、
 いろいろな交渉事をスムーズに進め、場の空気を敏感に読みとって迅速に対処できるような
 対人関係の能力が、さまざまな局面で問われるようになっている」 (p198)

お茶を濁しながら無難に人脈を拡げ、ビジネスライクな軽薄コミュニケーションで絆を紡ぎ、
同じような価値観を持っている人たちと空気を読み合いながら友だち関係を築いていく...

だけども少しでも自我をぶつけ合ったほうが人間関係は深化していくのではないか。
また同質な人たちと群れるのではなく、いろんな人たちと触れ合った方が成長していくようにも思える。
「私は私だ」という堂々たる個の強さがあればKYなんて怖くない。
むしろ空気を読み合う人たちの方が滑稽ですらある。そんな強さを持っていたいものだ。

友だち地獄かもしれないあなたに贈る一冊。

ISBN 978-4-86176-494-3アシタ
藤堂 絆
ジャイブ 2008-03-16
[ピュアフル文庫 と-1-1]

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人間として生きている以上、生命を維持するためには睡眠が必要不可欠だ。
なのに私は寝ることがあまり好きではない。出来ることならずっと寝たくないとも思っている。
一日という限られた生活時間の中で寝る時間が無駄なように思えてならないのだ。

寝付くのもとても苦手だ。ベッドの中に入っても何時間も覚醒し続けていることのほうが多い。
一度眠りに就いてしまったらもう二度と目覚めることがないのではないか...
入院生活が長かったせいかそんな恐怖心が私を支配し、睡眠という生理的行為を遠ざけていく。

思い返してみると10代の頃は全くそんな思いを抱かなかったはずだ。
6~8時間後に起きるときには確固たる新しい明日が眼前に屹立していて、
"アシタ"は何の疑うこともなく線路のように延々と続くものだと確信していた。

だけども時間というのは無情なもので、"アシタ"を繰り返すに連れて人は死へと近付いていく。
回想という手段で形而上の"キノウ"に触れることは出来ても、経験することは二度と出来ない。
ましてや"アシタ"にどんな運命が待ち受けているかなんて誰一人としてわからない。

そう考えていくと"キョウ"がどれだけ愛おしいことか。
楽しいことや思い出に残ることは出来るだけ先延ばしせずに"キョウ"のうちにやっておこう...
"アシタ"という質感を感じてしまった私はそれだけ年を重ねてしまったということでもある。

『"アシタ"を知らない世界にもう一度だけでも戻りたい』

本書は思春期の主人公たちが繰り広げる甘酸っぱい果実が行間に滴り落ちるような短編集だ。
と言っても一つの統一されたテーマに沿って執筆されたわけではなく、
今までに発表された作品+書き下ろし作品で構成されており、著者のデビュー作でもある。

何も知らないことが思春期を生きる彼らにとっては最大の武器であり、最大の致命傷でもある。
「"アシタ"があるとは一体どういうことか」などと哲学的に考察すること自体ナンセンスであり、
そんな難しい概念とは縁遠いからこそ彼らは無邪気に笑い、全力で突っ走ることが出来る。

本書では糸と糸を絡めて時間軸を紡ぐような繊細な物語が5作品収録されている。
しかもただ単にピュアフルという要素だけで展開していくのではなく、
"けしからん"要素を巧みに組み入れながら物語を薦めていくのは新鮮に映った。

通常こういったピュアフルな小説の場合は、ひたすら果汁100%のまま最後まで走りきるか、
ケータイ小説にあるような過激な体験をふんだんに盛り込み、人生をoverdoseさせてしまうか
の孰れかがstorytellingの定石なのだけれども、5作品ともこういった展開は踏んでいない。

例えばオープニングの『聡史がいない日』を見てみよう。
高校生の京子は図書館で偶然出会った聡史に恋をして何度かデートを重ねるが、
その裏で聡史は幼なじみの奈々江と肉体関係を持っていた。

ただ、聡史と奈々江はいわゆる愛人関係ではない。かといって体目的の関係というわけでもない。
幼なじみ故にあまりにお互いを知りすぎた二人にとって恋愛感情は共存の余地がなく、
奈々江はオトコとして見ていた聡史という存在が恋心を発露することによって遠ざかることを恐れて、
「本当に好きな人は他にいる」という仮説を企てて、ゲームとして割り切ったフリをしながら聡史を抱いているのだ。
ここにあるのはピュアフルとは対極的な実にシステムチックな"情愛"の姿である。

しかしここからがおもしろい。やっぱり二人は思春期を生きる男女だったのだ。
タイトルからしてわかるように物語の後半、聡史に突然"死"が訪れる。
その時"アシタ"が延々と続くものだと思っていた京子と奈々江が感じたものとは...
"アシタ"にいるはずの聡史がいない。じゃあ"アシタ"にどのような思いを抱けば良いのだろう?

さて私がこの本の中で特にオススメしたいのが『君と手をつなぐ』だ。
高校受験を控えた中学3年生の女の子が大学生の塾講師に恋をするストーリーなのだが、
彼女は帰りのバスの一番後ろの席でいつも座ってくれる塾講師と密かに手を繋いでいた。
それ以上は何も望まない。ただ、憧れの人とほんの少しの間、手を繋ぐだけで幸福だった...

...おっと、短篇作品だけにあまり書きすぎると面白みが失われてしまうのでこの辺で止めておこう。
定石通りには物語が進まないし、限りなくピュアフルだが純度100%というわけでもない。
最後の場面の描写が"アシタ"という言葉の意味を最も美しく反映していて私の琴線に触れ、
時間という概念を生み出した超越的な存在を思わず抱きしめたくなってしまった。

「「今」が未来にもう一度やってくることは、絶対にない」 (p83)

春休みを過ごす君にオススメの一冊。

ISBN 978-4-10-100156-2東京奇譚集
村上 春樹
新潮社 2007-12-01
[新潮文庫 む-5-26]

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"餃子の王将"が主食であるはずの私にしては珍しく
その日の夜は無性にイタリアンを食したい気分に駆られた。

決して気取っていたわけではない。ましてや功利的な動機に浸食されていたわけでもない。
その時の私は何かに憑依されたかのようにオリーブオイルを渇望しており、
腹が鳴るのを抑えてチーズの匂いを嗅ぎ分けながら繁華街を右往左往していった。

ところがどれだけ探してもイタリアンの店が見つからない。
これだけ歩けば一軒ぐらいはパスタの看板を目にしても確率的におかしくないはずなのだが、
目的の店には見事に巡り会うことがなく、いつの間にか普段は歩かない道を闊歩していた。

そして辿り着いたのが自分の意思では滅多に入らないであろう高級店だったのだ。
セレブな雰囲気が店中に充満し、そこには私の愛するネコのアンティークが屹立していて、
料理も文句なく美味しく、束の間の幸福に充足することができ、私のすべては満たされた。

帰り道、あれだけ探しても見つからなかったイタリアンの店が嫌と言うほど目に付いた。
まるで一時的にテナントを衣替えしていたかのように私の視界から影を潜めていた店たち。
ひょっとして私がセレブなネコの店に出会うために、自己主張を留めておいてくれたのかもしれない。

どうして行くときにイタリアンいっぱいのこの道を通らなかったのだろうか?
"偶然の産物"に過ぎないではないかと言われれば確かにその通りだ。
だがこの奇譚的な現象に意味性を求めるとしたら果たして何があるだろう。
超越的な自己が身体的な自己をコントロールしながら、運命の幻影を翫んでいるのだろうか。
私たちの手が及ばない不可侵の領域で、運命の歯車は何かに向かって動き続けている--

本書は大都会・東京の片隅に起こる不思議な話を描いた文字通りの"奇譚集"だ。
日常的にありそうな話からパラレルな話まで短篇・中篇が5作品収録されており、
現実からほんの少し捻れた不可思議な世界観を体感することができる。

オープニングを飾るのは『偶然の旅人』という物語だ。
ピアノの調律師が実はゲイであったという衝撃的な事実から始まるこの話では、
ある日ある場所で偶然出会う既婚女性を媒介に運命が一つへと繋がっていく。
世の中は案外広くないとよく言われるけれども、強ちウソでもないかもしれない。

続く『ハナレイ・ベイ』の主人公はハワイの海にて19歳の息子を亡くしてしまったサチで、
彼女は息子を忘れないために毎年ハワイで命日を過ごしている。
ある年、息子と同い年ぐらいの若者二人組と偶然ハワイで仲良くなり、
その二人組から信じられないようなある事実を告げられることに...

三作目の『どこであれそれが見つかりそうな場所』ではもっと不思議な世界観が漂う。
主人公の夫が何の前触れもなく突然階段の踊り場からいなくなってしまうのだ。
理由が全くわからない。だけどもいなくなってしまったことは事実。
そこで妻は謎の探偵へと調査依頼を出し、探偵は踊り場を調査し始めるが...

売れない作家を主人公に据えたのが四作目の『日々移動する腎臓のかたちをした石』だ。
「一生の間で本当に意味を持つ女は三人しかいない」という父の呪縛に彼は苦しみ続ける。
偶然出会った年上の女がその三人のうちの一人に入りそうだということで、
彼は今までほとんど他人にさらけ出さなかった自己を彼女へとぶつけることになるが...

そしてぶっ飛んだストーリー展開なのがラストの『品川猿』だ。
安藤みずきは突然自分の名前が出てこなくなる症候群を発症してしまった。
住所や電話番号は問題なく出てくるのだが、何故か名前の記憶だけが飛んでしまう。
医者に診てもらっても真相がよくわからない。仕事にも支障が出るだけにとても困る。
どうにもならなくなってしまったみずきはカウンセラーに相談することになり...

小さな偶然がピースのように絡まり合い、未知の真実が抉り出されていく。
結果論と言われればそれまでだが、震度0の偶然と共に私たちはきっと日々を生きているのだろう。
そんな微細な人生の揺れに耳を澄ますと、想像もつかないほど洗練された世界があることに気付く。
日常に経験するあらゆるレベルの出来事は何らかの意味へと収斂していくのかもしれない。

偶然性が気になるあなたに贈りたい一冊。

ISBN 978-4-02-273196-8公務員クビ!論
中野 雅至
朝日新聞社 2008-02-28
[朝日新書 96]

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今年に入っても公務員の不祥事は絶えることなく世を揺さぶり続けている。
こういったニュースがワイドショーなどを通じて報道される度に
公務員に対する国民の眼はますます厳しさを増し、
タックスイーター化する鬼畜公務員に対する怒りはもはや爆発寸前だ。

だがその割には親が子どもに就かせたい職業の一位は現在でも公務員であるし、
国家によって地位が絶対的に保証されている上に給料も安定していて、
公務員はオイシイ職業であるという固定観念が日本人に根付いているのも事実である。

しかしながら公務員の未来はこれから日を増す毎に厳しくなっていくに違いない。
公務員間の給与格差は今よりも否応なく拡がっていくだろうし、
民間企業でいう"解雇"にあたる分限免職も広範に行われていくと予測されるからだ。
つまり公務員が民間企業に比して安泰だった時代は過去の遺物なのである。

本書は公務員を取り巻く現状を元官僚が詳説した概説本で、
今話題の公務員制度改革を斬り込む上でまずは読んでおくべき必須の一冊と言えるだろう。
著者は市役所職員からキャリア官僚へ転身したユニークな経歴をお持ちの方で、
それだけに厳しい時代を生きていくことになる現役公務員に対してのエールも大きい。

さて偏に公務員と言っても、一般的には国家公務員と地方公務員に大別される。
また国家公務員は試験種別によってキャリア(Ⅰ種)・ノンキャリア(Ⅱ種・Ⅲ種)に分けられ、
霞ヶ関の本省で出世コースに乗ることができるのは基本的にキャリアだけだ。
(最近ではノンキャリアも積極的に重要ポストへと登用される傾向あり)

なので公務員を取り巻く問題も職種によってずいぶん性格が違うのが実情である。
キャリアでは天下りが問題となっているし、地方公務員では職員の資質が問われがちだ。
本書ではマスコミを踊らせている公務員バッシングネタが職種別に整理されており、
今、公務員の何が問題となっているのかが丁寧に解説されているのでポイントを掴みやすい。

そもそも今の公務員制度は非常に硬直的で、良くも悪くも平等主義が蔓延しすぎている。
本省では深夜まで残業というのがもはや当たり前の光景と化しているが、
多くの出先機関ではきちんと定時に仕事を終えることができ、
それでいて両者の給料はほとんど変わらないのである。
真面目に働く公務員も怠けて働かない公務員も給与や労働環境は同じが原則なのだ。

さらにこのご時世にも関わらず未だに年功序列が強く機能しているため、
個人にどれだけ実力があったとしてもなかなか昇進へとは結びつかない。
これでは民間企業のようにもっと汗水流そうというインセンティブが働かないではないか。

となるとある一つの極論が眼前に浮かび上がってくる。
"公務員なんてすべて民営化してしまえ!"
"役所は効率性だけを重視して顧客重視主義に転換しろ!"

だが本書を読めば上記のような新自由主義的な構造改革が
公的な組織には馴染まないことが即座にお解りいただけるであろう。
そう、自治体とはもともと慢性的赤字経営を強いられる運命なのである。

市場では採算が成り立たないが誰かがやらねばならない事業が世の中にはあり、
(ex.生活保護,高齢者医療,過疎地のインフラ整備...etc.)
そういった事業は役所が採算度外視で引き受けざるをえないのだ。
効率性さえ長けていればそれですべて良しという理論は公的な分野では通用せず、
「役所は民間企業に比べて考慮すべき価値基準があまりにも多い」 (p247) ことを忘れてはならない。

また何でもかんでも民間にアウトソーシングしたとしても、
「コスト削減の陰で、非正規雇用の人たちを大量に働かせて人件費を浮かせたり、
 商品の品質を偽装したりするケースが後を絶たない」 (p186)

ことからわかるように、効率性の抜本的な改革には何の効果も持たない。
このせいで非正規雇用の人たちが仮にワーキングプアへと陥ってしまったら、
最終的には行政で救済していかなければならない結果となるのは自明であり、
そうなると余計に非効率な行政運営を強いられることになってしまう。

さらに格差社会が拡大すれば公的部門の受益と負担の概念もより明確になっていくだろう。
社会保障は充実されて然るべきだが、その財源は富裕層からの税収によって成り立っている。
故に社会保障ばかりに目を向けると、富裕層に対して不公平な利益配分となってしまい、
要するに受益と負担の関係が著しくアンバランスとなってしまうのだ。

富裕層にもある程度利益を還元しないと、次第に彼らは他の自治体へと逃げていくだろう。
すると街には社会保障財源のスポンサーがいなくなり、被扶養者ばかりが溢れかえる。
その結果、貧困に起因するイメージ悪化から人材が流出して地価も下がり、
財政も破綻してしまい、廃墟と化した街を前にして国直轄を請うて身投げする...

そんな社会になったとき、公務員は今まで通りの仕事ぶりで果たして対応できるのか。
第七章では来るべき未来に対応するための新しい公務員像を提言しているのが興味深い。
平等主義のぬるま湯に浸かりすぎていると、これからの時代は致命的な転帰を辿ること必至だ。

その他にも公務員制度改革として世界各国のNPM(新公共経営)の例が紹介されていたり
「官民統一」から「官民流動性」への公務員制度改革のビジョンが打ち立てられていたりするなど、
やや専門的な話も織り交ぜながら、本書は公務員問題の核心に迫っている。
テレビの扇情的な特集番組を見るならば本書を読む方が有益であると太鼓判を押せるし、
だからこそみなさんにもこれを機会にぜひ読んでいただきたい。

公務員を知るための最初の一冊。

ISBN 978-4-344-40601-8Lyrical Murderer
桜井 亜美
幻冬舎 2005-02-10
[幻冬舎文庫 さ-1-27]

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今の中高生は「告白」や「別れ話」といった恋愛イベントまでメールで済ませるそうだが、
メールに宿すことの出来る"愛"の総量には自ずから限度がある。

例えばメールで「君のことが好きだ」と書いていたとしよう。
実際に面と向かって真剣な表情で「好きだ」と言われれば、
その"愛"は何の疑いもなくココロの奥底へと滑らかに浸透していくが、
メールだけで愛の言葉を囁かれてもなかなか体内へと吸収されない。

それは相手の顔が見えないというメールの致命的な側面が人々を疑い深くさせるからである。
クレオパトラを口説くほどの美辞麗句がどれだけ連ねられていたとしても、
文脈を過剰に邪推してしまうせいか愛を素直に信じることができないのだ。

もしかしたら嘲笑うかのような表情を浮かべながら適当にメールを打っているのかも...
絵文字ナシのやけに堅い表現だったからホントはそんなに好きじゃないのかも...

"傷つきたくない"という汚れを知らないピュアなココロがメールという保険的手段に対話を逃避させ、
相手を傷つけないように、自分が傷つかないように慎重に言葉が紡がれていく。
ところがそのほうが相手をより深く傷つけていたりもするのだが、そのことに二人は気付かない。
まさにメールが『Lyrical Murderer』とも称される所以であり、
今回ご紹介するこの本に登場する二人もそのパラドックスに見事に嵌り込んでしまう。

本書は大学生と高校生が真実の愛をメールという手段だけで求め続けるせつない恋物語だ。
主人公であるダイチは札幌から上京してきた大学生で、
恋人はいないものの年上のOLのヒモとなって生活費を負担してもらっている。
そんなダイチのメールボックスに一通のメールがやってくることから物語が始まっていく。

そのメールは出会い系サイトに呼び込むためのいわゆるサクラメールだったのだが、
そこに書かれていたある一点がダイチの心に引っ掛かり、
差出人の名が過去に恋した女の子の名前と一緒であることにも偶然気付く。

彼女の名はイリア。都内の高校に通う17歳のお嬢様女子高生だ。
中年のオヤジであるローリンの愛人に明け暮れながら、
同級生のアンナと共に寮生活を営み、渋谷で遊び呆ける日々を過ごしている。
(...とメールで書いていたのだけれども、実はイリアのプロフィールには秘密があった!)

メールを何回かやり取りしていくうちに二人はだんだん自分の本当の姿を文面にぶつけていき、
会いたいという気持ちが沸点に達したときにイリアはブラインド・デートを提案する。
お互い変装してから集合場所に現れ、見つけたとしても絶対に話し掛けてはならない--
そしてブラインド・デートを試みた二人の運命は思いもしない方向へと急展開していくことに......

本書で特に印象的なのは自己を肯定することの出来ないイリアが病的に煩悶する姿だ。
どこにいても楽天的で友達もたくさんいるアタシの仮面が剥がされることのないように、
小さなウソに更なるウソを塗りたくって、虚像の自分を作り上げていくイリア。
ダイチにどれだけ愛を打ち明けられても頑として受け入れることの出来ないイリアには
封印された過去があることが後半で明らかになり、恋人の裏切りが彼女をここまで変貌させた。

イリアにはかつて大好きになった男の人がいた。
その人は人生で初めて「君が大切なんだ」って言ってくれた。
でも彼はイリアを利用するだけ利用して、突然イリアの前から去っていった。
思春期の女の子にとってそれは論理的にも感情的にも受け入れられない異常事態であり、
イリアはそのトラウマに悩み続け、情緒不安定な精神状態に陥ってしまう。

揺るぎない愛が欲しい。どうせなくなる愛ならば最初からないほうがマシだ。
一度繋いだ手はもう一生離されたくない。徹底的に殺菌された永遠の愛を築きたい。
愛することが怖い。愛されることも怖い。でも愛は欲しい...
愛情に対する歪んだ原理主義がイリアを心のテロリストへと化身させ、
真実の愛が遠のいていく。嗚呼、なんと哀しき恋愛模様なのだろう。

そんな迷えるイリアをあなたの手でぜひ救ってあげてほしい。
愛を見失っているティーンエイジャーに捧げる一冊。

ISBN 978-4-10-132971-0君たちに明日はない
垣根 涼介
新潮社 2007-10-01
[新潮文庫 か-47-1]

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学生の時はラディカルであっても社会に出ればなるべく平穏に生きていたいものだ。
遊びを優先するために授業への出席を放棄しても直ちに卒業に影響してくることはないが、
理由なしに会社へ出勤しなかったらそれはクビにも関わってくる一大事となる。
つまり社会人になると素行不良は生きることとリアルに直結してくるのだ。

ただ社会人が実に理不尽なのは、一生懸命働いてもクビになる可能性があることであり、
いくら業績が絶好調な企業と雖も、絶対に解雇されないという保証は決してない。
誰だって好き好んでクビの二文字を突き付けられたくなんてないが、
もし不幸にも「おまえはクビだ」と切り捨てられたとき、あなたならどんな思いに苛まれるだろうか。

日本の労働基準法ではやみくもに指名解雇することが禁じられている。
なので"クビキラー"は巧みな話術でそれとなく自己都合退職を唆すことになり、
「新しい可能性に挑戦してみませんか」との美辞麗句でトドメの一撃を射していく。
とは言いつつも内容は"社会的死亡宣告"そのものであり、
告げられた立場の人間からすると冷静さを失って憤懣も募る一方だ。

どうしてオレ?あれだけ働いていた自分がなんで辞めなきゃいけないの?

本書はクビ切り請負人である主人公が様々な企業のリストラを手掛け、
そこで出会う人間たちとの繊細な心の駆け引きを描いた人間ドラマだ。

「日本ヒューマン・リアクト」というリストラ代行会社に努める村上真介は
イケメンチックな容貌とクールな思考を併せ持つ30代半ばのサラリーマン。
そんな一介のリーマンに過ぎない真介が名だたる大企業のクビキラーとして
数十人単位を豪快にリストラしていくわけだが、これほど非人道的で酷な仕事はない。

それでも真介はこの仕事に誇りを持ち、やり甲斐も感じている。
もちろん自分がやっている行為に対しての疑問がないわけでもないが、
人間の最もデリケートな部分が露呈されていく仕事だけに、
人生経験を積むという観点から見れば最高の職場であろう。

そんな真介を支えるのが8つ年上の芹沢陽子だ。
もともとは真介が面接をしたリストラ候補者の一人であり、
危うくクビを切られる寸前まで追い詰められたものの、
ひょんな事から真介と逢瀬を楽しむこととなり、今では恋人の関係となった。
(→「File 1. 怒り狂う女」参照)

そんな陽子との戯れとリストラの現場風景を交叉させて物語は展開されていく。
面接される立場の人間からしてみれば、真介=犯罪者と断じて良く、
本書でもこれ以上考えられない希望退職の要件を真介から提示されているというのに、
真介に悪態をついて頑として最後まで食い下がるリストラ候補者が頻繁に登場する。

素晴らしい製品を作っているとの自負はあるが
部下を管理する能力に決定的に欠けている主任のケース。
(→「File 2. オモチャの男」参照)
面接者が実は真介と高校時代の同級生で、
同級生の人脈が結果的に面接者を救い出すことになるケース。
(→「File.3 旧友」参照)
家業を継ぐのか彼との結婚をとるのか仕事を続けるのか...
30を目前にして自分の将来について思い悩む女性社員のケース。
(→「File.4 八方ふさがりの女」参照)

それぞれの人たちにそれぞれの人生がある。
かげがえのない家族がいて、一度きりの未来があって、
恵まれた給与と身分を永久保証してほしいと誰もが願うばかり。

全員が勝つということが自然界の法則ではあり得ない以上、
厳しい社会を勝ち抜くためには誰かに犠牲を強いなければならない。
それが綺麗事を抜きにしたこの世の中の摂理なのだ。

そういった絶望的なテーマを扱っているにも関わらず、本書を貫く空気は終始明るく、
だからといってコメディタッチすぎないのも本書の魅力的なポイントであると言えるだろう。
今日も会社でがんばるあなたにぜひ捧げたい一冊だ。

2008年4月

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